
左右の色が違う神秘的な瞳を「オッドアイ」といいます。オッドアイは、人間を含む生物に見られるとても珍しい症状で、「幸運を呼ぶ」ともいわれているんですよ。
歴史上の偉人にも、そんなオッドアイの瞳をしていたといわれる人物が何人かいます。
英雄が憧れる英雄「アレキサンダー大王」、東ローマ帝国を立て直した「アナスタシウス1世」、そして独眼竜で有名な「伊達政宗」。この三人の歴史的人物がオッドアイだったと伝わっている、もしくはオッドアイだったという説がある人物です。
この3人がどの様な人物なのか、そもそものオッドアイの解説と併せてご紹介します。
オッドアイとは
左右の瞳の色が異なることを「オッドアイ」といいます。
オッドアイの概要
オッドアイの原因は、先天性または後天性の2パターンがありますが、どちらの場合も色素細胞であるメラニンの欠乏が引き起こす症状です。
メラニンとは、褐色または黒色の色素のことです。メラニンの量によって体毛や皮膚の色、瞳の色まで決まるのですが、メラニンが欠乏すると色素が入っていない(または薄い)色になります。
すなわちオッドアイは、片方の瞳のメラニンが欠乏している症状なのです。オッドアイについて詳しく書かれた記事がございます。こちらも併せてご覧ください。
惹きつけられる猫の瞳「オッドアイ」とは?左右の瞳の色が異なる理由と生活リスクを解説 - FUNDO
日本人はオッドアイになりにくい
日本人の先天性オッドアイに遺伝は関係しておらず、突然変異のメラニン欠乏で誕生する確率は0.01%、すなわち10,000人に1人という非常に稀な確率です。
ケガや病気が原因で後天的に発症する場合もありますので、実際にオッドアイの方の人数を数えたらもう少し多いかもしれません。
ただ、日本人の瞳はオッドアイでも茶色や黒が多いため、左右の色の違いが目立たないかもしれません。誰かに指摘されるまで自分がオッドアイだと気付かない方もいらっしゃるようですよ。
特に多いのが猫
一番オッドアイが多いとされる動物は猫です。
とはいっても、猫全体だとオッドアイの割合は0.3%ほど。約1,000匹に3匹なので希少なことには変わりありません。
日本では、イエロー系とブルー系の瞳を持つオッドアイの猫を「金目銀目」と呼び、縁起が良い動物といわれています。
オッドアイだったとされる歴史上の人物
人間がオッドアイになる確率は非常に低く、更に歴史的に活躍するとなるとその存在は非常に希少になります。
そんな数少ないながらもオッドアイだったとされる歴史上の人物が何人かいますのでご紹介します。
アレクサンドロス3世
古代ギリシア、アルゲアス朝マケドニア王国の王(在位:紀元前336~紀元前323年)で、圧倒的な強さを誇り大帝国を築いた英雄です。もしかするとアレキサンダー大王と聞いた方がピンとくるかもしれませんね。
アレクサンドロス3世は、右目は黒、左目は青みがかった灰色のオッドアイをしており、その神秘的な瞳は「一眼は夜の暗闇を、一眼は空の青を抱く」と例えられていました。
大帝国を成立しヘレニズム文明の火付け役
20歳でマケドニア王に即位し、そこから連戦連勝の戦を続け、30歳までにヨーロッパ・アフリカ・アジア大陸にまたがる大帝国を成立させました。この帝国成立により、ギリシア文明とオリエンタル文明が融合し、ヘレニズム文明が生まれたのです。
アレクサンドロス3世は戦略と戦術に長けており、部下からの信頼も厚く、圧倒的に数の差がある敵軍と戦ったとしても一度も負けたことがありませんでした。歴史上、最も成功し憧れられる軍事指揮官といわれています。
アナスタシウス1世
東ローマ帝国の皇帝であったアナスタシウス一世(在位:491年~ 518年)もオッドアイだったといわれています。
黒目と青目の魅力的な目をしており、「Dicorus(ラテン語で美しい)」というニックネームで呼ばれていました。
優れた経済政策で帝国を再建
皇帝に即位したのは61歳でした。
即位してすぐに、しばしば反乱を起こしていたイサウリア人の鎮静と、ゲルマンとブルガリア人の侵攻によって破綻寸前だった国庫経済を修復すべく、帝国の防備を強化しました。
さらに、長年務めた経済官僚の経験を生かした政策により財政再建も実現し、帝国財政を救った皇帝として有名です。
伊達政宗
独眼竜の呼び名が有名で、戦国武将の中でも人気が高い伊達政宗もオッドアイだったのではないかといわれています。
戦、内政、外政に優れた政宗の素質
政宗は、戦だけではなく、内政と外交にも力を入れていました。
政宗が指揮をとった戦は、生涯を通して20戦ほどしてますが、殆どが勝ち戦で負けたのは一度だけです。正確な策略と指揮力の高さが特徴だといわれています。
戦が巧みで、勝率が高いことから領地拡大も果たしており、24歳の時には最盛期を迎え南奥州(現在の東北地方南部)に110万石の領土を有していました。しかし、そのときには戦国時代の終わりに入っていたため、その後は豊臣秀吉の配下になったことで領土は大幅に減少してしまいました。
領土の大幅縮小にも政宗はくじけることはありませんでした。政宗は豊臣秀吉の次の天下人、徳川家康の下で功績をあげ、最終的には仙台藩初代藩主として現在の宮城県を領土としました。
仙台藩では田畑の開発にも力を入れ、伊達政宗が亡くなった時には表高60万石のところ、実質石高は100万石以上合ったともいわれています。
浮上したオッドアイの噂
伊達政宗といえば「独眼竜」という異名などから、片目を隠しているという印象が強いですよね!では、なぜ片方の目を隠していたのでしょうか?
いちばん有名な話では幼少時代の病気が原因といわれています。
政宗は幼少時代、当時不治の病といわれていた「天然痘」を患いました。一命はとりとめましたが、右目を失明してしまいました。失明した右目は白く腫れ上がっていた事から、家来に切り取らせた事から右目を隠していたといわれています。
その他に、実はオッドアイだったのではないかという説も浮上しています。
この説は政宗のお墓を発掘調査をした際、政宗の右眼球は切り取られていなかった事が判明したので浮上した説とされています。
もしかしたら政宗は発病した際にメラニン色素が欠乏し、後天的にオッドアイになったのではないか、その瞳を隠すために包帯や眼帯で右目を隠していたのではないかと憶測されています。
まとめ
オッドアイの瞳を持って誕生することは非常に珍しく、「幸運を招く」といわれているほど神秘的な瞳です。筆者は、オッドアイの人間も生物も見たことがありませんが、実際に間近で見ることができたら引き込まれてしまいそうです。
三人の偉人たちも、もしかしたらその瞳で人々を魅了していたのかもしれませんね。
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出典:Wikipedia(アレクサンドロス3世) / Wikipedia(アナスタシウス1世)