「日本三大奇橋」って知ってる?古の匠たちによって築かれた独特な橋たち

日本には古くから存在している橋が多く、その中には「日本三大奇橋」と呼ばれるものもあります。奇橋(ききょう)というのは構造に特色のある変わった古い橋のことで、厳密に「これが奇橋」という定義はありません。

ただ、古くから奇橋として伝説が残る橋も多いため、ここでは日本三大奇橋を中心にご紹介します。なお、すでに古い橋は撤去され新しくなっているものもあるので、そちらも併せてご紹介します。

三大奇橋①:猿橋【山梨県】

猿橋(さるはし)は山梨県大月市にあり、甲州街道における重要な橋として役割を持っていた橋です。

長さ30m以上ある橋ながら、橋脚を全く使われていない構造と、代わりに橋を支える刎木(はねぎ)と呼ばれる支え木が特徴的です。この刎木を利用した架橋のことを「刎橋(はねばし)」といいます。

猿橋の特徴的な姿は江戸時代にはすでに世に知られていたようで、多くの紀行文に詩、句が猿橋を題材に作られています。また、江戸時代を代表する浮世絵師の「歌川広重」も題材にしています。

建造された年代は不明なのですが、有力な説としては古代・推古天皇が治めていた610年頃に百済の渡来人であった造園師の志羅呼(しらこ)という人物が建造したといわれています。

切り立った両岸には刎木(はねぎ)と呼ばれる支え木があるのですが、この形状には逸話があります。

橋を架けることに難航している中、猿が自らの身体で支え合って橋を作って移動している姿を見て、刎木の発想を得たという伝説が残っています。この逸話にちなんで猿橋という名が付けられたといわれています。

三大奇橋②:錦帯橋【山口県】

錦帯橋(きんたいきょう)は山口県岩国市にある、木造のアーチ橋です。5つのアーチからなるこの橋は造形美に優れ、世界でも珍しい姿をしていることで知られています。ちなみに名前はその美しさから完成後に定着した名前だという説が有力です。

錦帯橋は、岩国藩藩主の吉川広嘉(きっかわひろよし)によって、岩国城と錦川を挟んだ対岸にある城下町をつなぐために1673年に建造されました。

洪水の多い錦川に架かるため、洪水に耐えられる橋として計画されました。

5連のアーチ状という珍しい形状は、中国の杭州にある西湖に架けられた6連のアーチ橋の存在を聞いて参考にしたとも、広嘉がかき餅を焼いていた際に焼けていくにつれ弓なりになっていく餅をヒントにしたともいわれています。

数々の洪水によって流出したものの、その度に洪水に耐えられるよう試行錯誤して補強や修復されてきた橋でもあります。より強固で頑丈になるように仕組みが取り入れられている点も、錦帯橋の魅力となっています。

三大奇橋③:愛本橋【富山県】


出典:wikipedia.org

愛本橋(あいもとばし)は黒部川の中流域、富山県黒部市に架けられていた橋です。富山藩や加賀藩といった大名家の参勤交代ルートとして使われていました。

加賀藩藩主だった前田綱紀(まえだつなのり)がこの橋を架けることを命じたとされていますが、その建造は一筋縄ではいかなかったそうです。

暴れ川としても知られた黒部川は、その流れの強さから橋脚が建てられず、安定した橋を作るのに難航しました。そのため、形状は猿橋と同様に刎橋が架けられました。

しかし、この愛本橋は残念なことに、1969(昭和44)年にあった豪雨で流されてしまいました。現在では元の位置から少し下流に移動し、赤く塗装された新しい橋が架かっています。

愛本橋に代わり、三大奇橋に数えられる奇橋

流失し、違う場所に違う形状で架け直された愛本橋は現在三大奇橋に数えられていません。しかし、その代わりとして三大奇橋に数えられる橋が2つありますのでご紹介します。

かずら橋【徳島県】

かずら橋は徳島県三好市にある橋で、サルナシという葛類を材料として作られている原始的な見た目が特徴です。非常に味のある橋であり、その景観を見るために観光客も訪れています。

もともとは7~13ほど同様の橋が架かっていたそうですが、現在では残っているものは少ないです。かつて空海が村人たちのために架けた橋という伝説の他、平家の落人がこの地に潜み、追手が来てもすぐに切り落とせるように架けたという伝説も残っています。

現在では多くの環境客が来ることから、橋の寿命は短くなっており、職人の手により3年おきに新しいものが架け直しされているそうです。まるで映画に出てくるような光景が広がっているので、興味がある人はぜひ訪れてみてください。

木曽の桟【長野県】

「木曽の桟(きそのかけはし)」は長野県木曽郡上松町にある橋で、歌枕として知られており、和歌にも題材にされることもあります。

かつて通行が困難とされていた木曽川沿いの断崖沿いに丸太と板を用いた桟道(さんどう)が、この桟の始まりとなっています。その風情ある見た目と合わせて周辺の桟温泉や赤い橋と一緒に観光する人もいます。

古くは豊臣秀頼が改良工事をしたといわれており、1741年と1880年に大規模な改良を行ったようです。ただ、1911年には国鉄工事のために取り壊されたという歴史を持つ橋でもあります。

現在では石垣しか残っていないのですが、それでもここに橋があたっという歴史を醸す風景は風情があっておすすめです。

まとめ

日本は特殊な地形を持つ国ということで、川も多いです。かつてはそんな川を超えるために多くの橋が架けられました。その橋の中には、現在でも残っているものがあります。

奇橋はそんな日本という歴史を支えてきたものでもあるのかもしれません。ぜひ、橋に興味がある方は観光で訪れてみてはいかがでしょうか。

中にはすでに取り壊されてしまったものもありますし、今後取り壊しになるものもあるかもしれません。そういう意味でも、一度は見ておきたいものだといえるかもしれませんね。

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出典:Wikipedia(愛本橋)

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