比翼連理ってなに?仲睦まじい恋人同士の様子をあらわす言葉の由来を解説

2020.3.22


小説や映画で「比翼連理(ひよくれんり)」という言葉を聞いたことはありますか?

この言葉は別れることがないであろう、非常に仲睦まじい恋人同士の様子をあらわす言葉ですが、比翼(ひよく)や連理(れんり)が何を指しているのか知らないと、なぜ比翼連理という言葉が恋人の様子をあらわすことになるのかわからないですよね。

そこで今回は、比翼連理の由来や、例えられた実在のカップルなどについて解説します!

比翼連理とは


比翼連理にはどのような意味があるのでしょうか?その言葉自体は何を由来にしているのか解説します。

比翼連理の意味


比翼連理は、夫婦や恋人間などの情愛が非常に深く、仲むつまじいことを例えた表現です。相思相愛の仲を例える際にも使われ、おしどり夫婦と呼び表されることもあります。

比翼は「比翼の鳥」を意味する


比翼連理の「比翼」とは、「比翼の鳥」という中国に伝わる伝説上の生き物のことです。その姿は隻眼隻翼とされ、雄と雌が力を合わせないと飛翔することができません。

そう、比翼の鳥の雄と雌は一蓮托生の存在であり、共に生きてはばたくためにもパートナーは最も大切な存在なのです。

今でこそ相思相愛の象徴とされますが、「山海経(せんがいきょう)」という古代中国における地理認識をまとめた書の中では、この比翼の鳥が姿をあらわすと洪水が起こるとされたことから、凶兆を呼ぶ鳥とされていました。

連理は「連理の枝」をあらわす


比翼連理の「連理」は、古代中国に伝わる「連理の枝」という伝説上の植物です。

2つの並んだ木から伸びる枝が互いに絡み合い、さらに根も絡むように伸びることで1つに連なる木となったとされています。

「連理の枝」にまつわる物語


この木が登場するのは4世紀に当時の中国「東晋」で記されたとされる、「捜神記(そうじんき)」という不思議だったり奇怪だったりする話を集めた書です。

春秋戦国時代、宋の国に「韓凭(かんひょう)」と「何氏(かし)」という仲睦まじい夫婦がいました。しかし何氏の美貌に目を付けた宋王はなんとかして何氏を手に入れようと夫である「韓凭」を監禁してしまいました。

夫を監禁されてしまった何氏は、宋王に付き従うように見せるも隙を見て高台から飛び降り自殺。韓凭もまた妻のために命を絶ちました。

何氏を自分のものにできなかった宋王は怒り、2人がひとつの墓に入ることは許さず、隣同士の墓に埋葬するように命じました。しかもすぐそばにいながらも、いつまでも一緒になることがないようにする宋王による嫌がらせでした。

ところが数日後、韓凭と何氏それぞれの墓から木が生えてきました。そして瞬く間にこの2本の木は成長し、木が生えてから数日も経つとそれぞれの枝と根が絡みつくように伸び、まるで連なった1本の木のようになっていました。

このひとつに結び付いた木の枝を韓凭と何氏の仲睦まじさの証として「連理の枝」と呼ばれるようになりました。

理とは木目の事です。木目には「木理」という別称もあります。連理は「連なった木目」となりますので、2つの木が合わさり、木目が1つになる様子をあらわしています。



比翼連理の由来


比翼連理という言葉の由来となった「比翼の鳥」と「連理の枝」をここまで解説してきましたが、なぜこの2つの言葉がまとめられたのでしょうか?その由来を解説します。

比翼連理は中国の詩から


「比翼連理」という言葉が生まれたのは唐の時代の事です。唐の詩人「白居易(はくきょい)」の詠んだ長篇の詩「長恨歌(ちょうごんか)」の終盤にこのような一節があります。

在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝


この漢文を書き下すと『天にあって願わくは比翼の鳥となり、地にあれば連理の枝となることを願う』となります。

比翼連理はどのようにつかわれた?


この白居易の大作「長恨歌」は、あるカップルの事を詠んだものです。そのカップルとは、世界三大美人のひとりともいわれる「楊貴妃」と唐の最盛期を築いた皇帝「玄宗」のことです。

長恨歌は楊貴妃の美しさ、そして楊貴妃の美しさにのめり込んでいく名君「玄宗」の様子、そして2人の愛の日々を詠った詩です。

「在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝」という一節が出てくるのは長恨歌の終盤、終わりから二節目です。

反乱の中で楊貴妃を失い虚ろな日々を過ごす玄宗は、配下に命じて楊貴妃の魂がどこにあるか探し求めました。ある道士の尽力により、楊貴妃が仙界にいると判明しますが、楊貴妃は思い出の品を返すと共に、ある言葉を道士に残すと去ってしまいました。

その言葉こそ「在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝」です。楊貴妃から玄宗に言付けされたこの言葉は、在りし日に2人で永遠の愛を誓いあう際に交わらせた最も大切な言葉でした。

この言葉を最後の言葉として玄宗はどのように思ったのでしょうか。「在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝」に続く長恨歌最後の一節はこうなっています。

天長地久有時盡、此恨綿綿無盡期


『天地は悠久とはいえ、いつか尽きることもあるだろう。しかし、この悲しみは綿々と続き決して尽きることはない』

まとめ


「比翼連理」は、唐の皇帝「玄宗」と傾国の美女といわれる「楊貴妃」が永遠の愛を誓う際に用いたとされる言葉です。

白居易の詩は中国だけでなく、朝鮮や日本など周辺国でも大変人気でしたが、特にこの長恨歌は名作として知られていました。

名作として知られる詩の一節だからこそ、永遠の愛を誓いあった際の言葉が強烈に人々の心に残り、仲睦まじい様子をあらわす言葉として今日まで使われているのかもしれませんね。

ちなみに、白居易が生まれたのは楊貴妃が亡くなってから15年ほど後なので、玄宗と楊貴妃の愛の時代を直接見聞きしたわけではないようですよ。
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