ありふれたという意味の「月並み」、もともとは全く異なる意味の言葉だった?!

「月並み」はありふれているものを意味する言葉ですが、そもそもなぜ月並みと言われるのでしょうか。
実はこの言葉、まったく違う意味を持つ言葉だったのです。

では、なぜ本来の意味とは変わってしまったのでしょうか。
そこには歌人として有名な「正岡子規」が関係しているとされています。

そこでここでは、月並みという言葉の現在の意味と本来の意味、使われ方が変わった背景などについて見ていきましょう。

「月並み」の現在の意味

 

「月並み」という言葉は現代ではありふれたものを指すことが多いですよね。
ここからはまず月並みの現在の意味について見ていきましょう。

「月並み」とは

「月並み」とはありふれた状態を意味する言葉であり、平凡な様子や真新しさがない様子ありきたりな様子などを指す言葉です。

月が並ぶと書くことから、毎月決まって行う物事や月に一度など決まった周期で催される物事を表しています。
今月も来月も再来月も決まっているかのように変化がなく続いていく様子を指すところから、ありふれた状態を指す言葉となったとされています。

現在ではどこにでもあるようなものを指す他、決まって開催されるイベントなども指すことが多くあります。

「月並み」の類義語

月並みはどこにでもあるようなありふれたものを指すことから、類義語としては「一般的」や「日常的」などの言葉があります。
どちらの言葉も普段から変わる様子がなく、これまでもこれからもずっと変わりなく続いていく物事を指すものです。

その他にも「普通」や「凡庸」などが月並みの類義語となっています。

月並みのもともとの意味と変化した経緯

 

月並みは現在の意味と本来の意味が違います。
ここからはその本来の意味を解説する他、なぜ使われ方が変わってしまったのか、その背景についてもご紹介します。

「月並み」の本来の意味

月並みという言葉は「月次の祭」という神道での祭礼から来ています。
平安時代からは6月11日と12月11日に催すようになりましたが、それ以前は毎月行われていたとされています。
ここから「毎月決まって行われること」「月に一度ずつあること」という意味へと派生していきました。

つまり、ありふれた物事ではなく、定期的に決められている物事を指す言葉だったのです。
現在も辞書によっては「毎月」「月ごと」などの意味が掲載されており、辞書によってはこちらの意味が一番最初に解説されていることもあります。

正岡子規により意味が変わった?!

上記の月次の祭にあやかって和歌や俳句などを詠むために集まる月一度の会合は「月並みの会」と呼ばれていました。
「月並句合」や「月並俳諧」とも呼ばれていました。

この「月並みの会」で詠まれた和歌や俳句は、手引書や指南書が発達したため似通ったような作品が増えてしまいました。
そこに批判をしたのが歌人として知られる正岡子規です。

ある俳句に対して、拙劣な表現だと批判しました。
そのうえでよく月並句合の句集でみかける表現だったので「月並流」と評したことが、現在の意味で使われるようになった始まりとされています。

「野球」という言葉も正岡子規が生み出し・・・ていない!!

 

ベースボールを「野球」と訳したのは正岡子規、と言われることがあります。
しかし実は、正岡子規自身は野球という訳語を生み出してはいません。

「野球」という訳語を考えたのは正岡子規の後輩

正岡子規は野球を非常に好きで、喀血を理由にやめるまで続けていました。
そんな正岡子規が「野球」という言葉を使ったというのは確かです。

しかしそれは自分の雅号(俳句や和歌を詠むときのペンネーム的な物)であり、その読み方は「のぼーる」だったとされています。
これは幼名の「升(のぼる)」にちなんでつけられたものとされています。
「野球」という言葉を使っていましたが、「やきゅう」と読みをする言葉は使っていなかったわけですね。

そして正岡子規自身、「ベースボールには訳語がない」と語っています。

では誰が野球という言葉を生み出したのでしょうか。
それは正岡子規の第一高等中学校の後輩にあたり、ベースボール選手だった中馬庚という人物です。
彼がベースボールを「野球」と訳して以来、それが日本で広まったとされているのです。
 

正岡子規が訳した野球用語はある!

ちなみに、正岡子規は野球という言葉を生み出した人物ではありませんが、その他の野球用語については彼が訳したものもあるとされています。
以下がそれらの一覧となります。

・バッター⇒打者
・ランナー⇒走者
・フォアボール⇒四球
・ストレート⇒直球
・フライボール⇒フライボール
・ショートストップ⇒短遮(のちに中馬庚が遊撃手と訳したことで廃れる)

現代の野球でも使われているこれらの言葉は、正岡子規が訳語を作ったものだったわけです。

まとめ

月並みは「ありふれた」という意味を持つ言葉ですが、本来の意味は「毎月決まって行われること」「月に一度ずつあること」というものでした。
なぜ現在では平凡などの意味で使われるのかといえば、それは正岡子規が月並句合という月例の歌会でよく見かけた表現を「月並流」と批判したのが始まりとされています。

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