「下馬評」は噂や批評を意味するけれど、その言葉の由来は他愛ない世間話にある?

下馬評とは、本人とは関係ない人たちがする噂や批評を意味する言葉です。
この言葉はかつて下馬先で話し込んでいたお供の者たちが語源となったとされています。
では、この下馬先とはそもそもどういう場所を指すのでしょうか。

良い意味でも悪い意味でも使われる言葉なので、間違って用いていないかどうか確認するためにも、その用途については知っておきましょう!

「下馬評」とは

 

まずは下馬評という言葉がどういう意味を持つのかを解説します。

「下馬評」の意味

下馬評とは、興味本位にする噂や批評のことです。
主に本人とは直接関係ない第三者がするものを指し、責任のないところで種々の評をすることを指しています。

自分勝手に物事を判断して、好奇心であれこれと噂や批評をするという意味があり、簡単にいえば世間や巷での評判などのことを指しています。
ゴシップという意味合いでも使われます。

「下馬評」の類義語

この下馬評の類義語としては、「世評」や「読み筋」などがあります。

世評は世の中の一般的な評価のことです。
ある物事に対して良し悪しを判断したり、世間がどう思っているのかを表したりする言葉です。

読み筋は今後の展開を予測することを指します。
データやプロセスなどを先読みすることで予測を立てていくことを表す言葉です。

それぞれ似たような意味を持っています。
ただ、下馬評はどちらかというと根拠のない個人的な話を指すことが多いため、若干ながら意味の違いには注意が必要ですね。

「下馬評」の語源

 

下馬評という言葉は、下馬先で主人を待ちわびるお供の者が、時間つぶしに噂や批評などをしているところから生まれたとされています。

「下馬」ってなに?

まず「下馬評」の下馬という言葉ですが、これは文字通り馬を下りることを意味があります。
ところが下馬評の下馬は少し違います。

ここでは、神社や城郭の門前で馬に乗り降りする場所のことを指します。
そしてその場所は、お供の人間にとっては主人を待つ場所でもあります。

暇つぶしの会話が語源?

主人が神社や城郭に訪れている間、かなりの時間待たされることもあります。
そうするとお供の者たちは暇も相まって世間話をすることも多かったそうな。
この何気ない暇つぶしの会話こそが、下馬評の由来とされています。

その下馬先での世間話は、身勝手な評判など
、下馬評という言葉が使われるようになりました。

「下馬評」の使いどころ

 

下馬評は自分とは直接関係ない物事を対象について話すことを指すのが一般的です。
関係ない第三者があれこれと勝手な関係で議論することを指す言葉なので、まったく関係ない人たちがしている会話そのものを指すこともあります。

「下馬評」はいい意味でも悪い意味でも使う

下馬評は世間や巷など、注目を浴びている物事などに対して、興味本位に勝手に噂や批評をすることを指します。
そのため褒めることでも使えますし、悪い意味でも使われる言葉となっています。

また、下馬評はあくまで第三者が勝手に作る噂や批評です。
そのため根拠のない自己主張が多く含まれた評価となりやすい傾向にあります。
当然ながら、十人十色の噂や批評が中心となるため、根拠のあるしっかりとした情報ではないものも含まれるのが特徴です。

「前評判」との違い

下馬評と「前評判」は非常に似通った意味合いがありますし、同じようなシチュエーションで使われる言葉です。

前評判は、ある物事が行われる前に広がった評判のことを指します。
対して、下馬評は読み筋という同義語があることから、予測的な意味合いでも使われます。

ただし、前評判はあくまでも周囲がくだした判断なので、自分としたらそれは違うとなることもあるかもしれません。
下馬評の場合、予測なので結果が外れることがあるかもしれません。

また、下馬評は関係のない人がするものですが、前評判は関係のある人も評価するという点に違いがあります。
そのため、信憑性の高さは前評判の方があるとされます。

同じような理由から、語感として前評判より下馬評の方がイメージが悪い言葉となっています。

まとめ

下馬評とは、世間で言われている適当な噂や批評のことを指します。
これは、下馬先という馬を乗り降りする場所で、主人を待つお供の者たちが暇つぶしに行われていた世間話から生まれたとされます。

その会話は身勝手な評判だったとされることから、根拠がある情報ではなくむしろ噂話や適当な話を指すようになったのだとか。
良い意味で使われることもありますが、悪い意味で使われることも多い言葉となっています。

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