光風霽月は「こうふうせいげつ」と読み、美しい響きがあります。
実はこの言葉、その意味もとても美しいものなのです。
爽やかな風と冴えわたった月をあらわし、非常に快活な人物の例えとして使われます。
しかし、光と風と月は理解できても霽という漢字が日常であまり見かけない字なので、その意味と結びつかないですよね。
そこでここでは、そんな光風霽月という言葉についてご紹介します。
目次
「光風霽月」とは
まずは光風霽月の意味や成り立ちについて見ていきましょう。
「光風霽月」の意味
光風霽月は、さっぱりして心にわだかまりがない人物や心持ちを指す四字熟語となっています。
心が清明で執着なく、快活で洒落た人物に対して用います。
また、世の中がよく治まっていることを表現する際にも使用されます。
光風霽月の文字通りの意味は、爽やかな風と冴えわたった月をあらわしています。
読むのも書くのも難しい「霽」は晴れることを意味する漢字です。
「光風霽月」の成り立ち
「光風」は、春の陽光の中を吹き抜ける風のことです。
雨あがりに草木の間を吹き抜けていく、爽やかな風の事をあらわすこともあります。
そして「霽月」は、雨上がりの澄んだ空に浮かぶ月のことです。
「霽」の一文字の時とは、意味が若干変化しています。
この天気が良い状態を指す2つの言葉を組み合わせたのが、「光風霽月」となります。
出典元はある人物の人柄から
光風霽月の出典は、中国のある人物に関係しています。
ここからは光風霽月の由来や語源に迫ります。
宋史に出てくる「光風霽月」
光風霽月は「宋史」という史書に出てくる言葉です。
宋史とは、中国の元代に編纂された正史の1つで、宋の時代を扱った紀伝体の史書となっています。
宋史は、他の正史に比べて巻数が多く内容も詳しいのが特徴です。
ほぼ同年数存続した唐の正史に比べると倍近くの巻数を有します。
その宋史に、光風霽月の原形となった言葉が残っています。
北宋の時代を代表する書家「黄庭堅(こう ていけん)」が、「周敦頤(しゅう とんい)」の人柄を絶賛したという記述があります。
「周敦頤」はどんな人物?
周敦頤は、中国北宋時代の儒学者です。
著書としては「太極図説」や「通書」などがあります。
南宋時代の儒学者「朱熹(しゅ き)」からは宋学の祖と評されており、儒学の歴史上重要な人物とみなされています。
黄庭堅に人柄を非常に高く賞賛され、宋史の中では「人品甚だ高く、胸懐洒落にして光風霽月の如し」と謳われています。
この言葉から、さっぱりして心にわだかまりがない人物を光風霽月と評するようになりました。
「光風霽月」の類義語
光風霽月のように快活な心情をあらわす語は他にもあります。
ここからは、そんな光風霽月の類義語をご紹介します。
虚心坦懐
虚心坦懐とは、心になんのわだかまりもないことを指します。
気持ちがさっぱりしていることを表現する際にも用いられます。
また、平静に物事に望むことや、先入観や偏見を捨てたまっさらな心の状態にも使用します。
「虚心」は、ありのままを素直に受け入れることのできる心の状態です。
「坦懐」は、安らかな状態をあらわす「坦」と胸の内を意味する「懐」の組み合わせで、わだかまりがなくさっぱりとした精神状態となっています。
晴雲秋月
晴雲秋月とは、心に汚れがなく澄み渡っていることの例えです。
純真で汚れがなく透き通っている心の持ち主に対しても用いられます。
「晴雲」は、晴れた空に浮かぶ白雲のことで、「秋月」は秋の澄んだ空にかかる月のことを指します。
晴れた空に浮かぶ雲や秋の空に浮かぶ月のように澄み切っていることから生まれた例えです。
まとめ
光風霽月は、心が綺麗な人の例えとなる四字熟語です。
爽やかな風をあらわす「光風」と、冴えわたった月を指す「霽月」の組み合わせとなっています。
これは、もともと中国のある人物を褒める際に使った表現です。
他にも同様な意味を含む言葉として「虚心坦懐」や「晴雲秋月」などがあります。