元気がない様子をあらわす「くたびれる」の意味や言葉の由来とは?「疲れる」とは違いは?

「くたびれる」は、元気がない状態を表現する言葉です。
元気がないことは他にも「疲れる」などとも表現しますが、両者には意味合いに違いもあります。

ここでは、この「くたびれる」の意味や由来について解説します。

「くたびれる」とは

 

まずは「くたびれる」が何をあらわすのか見ていきましょう。
また、「疲れる」との違いについても見ていきましょう。

「くたびれる」の意味

「くたびれる」とは、長時間にわたり体や頭を使ったため元気がなくなってしまうことを表現する言葉です。
また、年老いたり苦労が続くことで気力や若さを失うことも意味します。
他にも、物が長く使われたために古くみすぼらしくなってしまう際にも用いられます。

状況によっては、特定の動作を続けることに疲れて、嫌になってしまうことをあらわすこともあります。

「疲れる」との違い

「疲れる」は、人が体力や気力を消耗することで働きが衰えることを指します。
物を長く使ったために質や機能が悪くなったり弱ったりする意味も含まれます。

「疲れる」は、肉体的疲労と精神的疲労どちらも指すことがあります。
対して「くたびれる」は、肉体的疲労に対してのみ使われます。
精神的疲労について用いない言葉という事になります。

「くたびれる」の由来

 

「くたびれる」とは、どのようにして生まれた言葉なのか、その由来について見ていきましょう。

「くたびれる」の「くた」は朽ちるの事

くたびれるは、「くた」と「びる」が合わさってできた言葉とされています。
この「くた」とは、「朽つ(くつ)」や「腐す(くたす)」から来たとされます。
また、「くたばる」も語源を同じくしているとされています。

「びる」は、その状態になっているもしくはその状態に近しくなっている風にふるまう事を意味します。

漢字表記「草臥れる」の謎

くたびれるの漢字表記は「草臥れる」となります。
実は、この漢字表記に関しては謎も多いともされています。

「草臥」は、疲労困憊で草の上に横たわることをあらわした言葉です。
中国最古の詩集『詩経』の『鄘風‐跋渉』にあるとされる「草臥」が由来ともされています。
ところが、詩経の中に「跋渉」という項目はありません。
そのため、同じく詩経にある載馳の「大夫跋涉」ことかと思われます。

とはいえ、載馳の中に「草臥」という言葉は出てきません。
つまり「鄘風」自体に「草臥」が出てこないため、なぜ「くたびれる」を「草臥れる」と表記するようになったのかは謎ということになります。

全く違う意味で捉えられる方言の「くたびれた」

 

「くたびれる」ことをあらわす方言は各地にあります。
その中でも、一般的には違う意味合いで用いられている言葉をご紹介します。

こわい

「こわい」という表現には、漢字表記として「怖い」や「恐い」などがあり不安を抱くことをあらわすことも。

しかし、北海道や東北地方などにおける「こわい」は方言のひとつで、「くたびれる」と同じ意味を持つ言葉となります。
主に、体や頭などがだるい状態をあらわす表現です。

ほっこりした

「ほっこりした」という表現は、癒されるような場面で使われます。
しかし、福井県などの方言では「くたびれる」状態をあらわすのです。

一見するとリラックスした状態を指す言葉に見えますが、地方によっては意味が逆となるわけですね。

えらい

「えらい」というと、通常は社会的地位の高いことをあらわす「偉い」のことかと思われます。
しかし、中国地方や東海地方では「くたびれる」ことをあらわす表現として用いられます。

疲れてしんどいことを指して「えらいわぁ」と言ったりします。
また、困った状況や悩む状況に陥った際にも使用されます。
他にも、常識外れなことをあらわす際にも使用されます。

まとめ

「くたびれる」は、元気がなくなることをあらわす際に用いられます。
同じような表現としては、標準語の「疲れる」などがあります。

しかし、「疲れる」が肉体的疲労と精神的疲労ともに使用されるのに対し、「くたびれる」は肉体的疲労に対してのみ使用されるというニュアンスの違いがあります。

また、方言によっては、標準語は違う意味合いの言葉が「くたびれる」と同等の意味で用いられていたりもします。

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