「愚行山を移す」とはどんな意味のことわざ?「愚行」とはいったい何者?

「愚行山を移す」は、地道に努力すれば成功することの例えとなる言葉です。
愚直であっても、懸命に続けることで不可能と思われることもなすことができるという意味合いで用いられます。

では、どのようにして「愚行山を移す」という表現は生まれたのでしょうか。
ここでは、この「愚行山を移す」という表現について、その意味や由来について見ていきましょう。

「愚行山を移す」とは

 

まずは「愚行山を移す」という表現について見ていきましょう。

「愚行、山を移す」の意味

「愚行山を移す」は、たゆまぬ努力を続けていれば、いずれは大きなことを成せるという意味があります。
どれだけ困難なことでも、コツコツと続ければやがては成就するという例えとしても使用されます。

「愚公移山」と表記することも

「愚行山を移す」は、四字熟語として「愚公移山」と表現されることもあります。
表記方法を変えただけで、その意味合いに関して両者に異なる点はありません。

「愚行山を移す」の由来

 

「愚行山を移す」はどのようにして生まれた言葉なのか、その成り立ちについて見ていきましょう。

「愚行」の行動から

その昔、中国の黄河下流に「太形山」「王屋山」という2つの山がありました。

 この2つ山に面した北山に住んでいたと「愚公(ぐこう)」という90歳近い人物は、出かけるたびに山を迂回しないといけない生活にうんざりしていました。
そこで、あの山を崩して平らにして、南に抜ける道を切り開こうと考えました。

しかし、一族が力を合わせて切り崩し、渤海まで崩した土を捨てに行くという工程を一往復するだけで一年という時を要してしまいました。
そのため、知人に笑って止められたのですが、「この作業を行うのは自分だけではない。私が死んでも子供が続けてくれるだろうし、孫もいる。山は増えるわけではないから、こうして子々孫々途絶えることなく続けていけば、いつか平らになるときが来る。」と返しました。

愚行のその強い意志は天帝の耳にまで届き、関心も得ました。
その意気を汲み取った天帝は、2つの山を移動させたて平地としたのでした。

毛沢東の演説で知られるようになった

この「愚行山を移す」という言葉は知名度の高い言い回しではありませんでした。
しかし、1945年6月に毛沢東は演説の中で「愚行」を中国共産党に見立てて演説で引用しました。

この演説は、毛沢東の3つの著作「老三編」にあげられます。

「愚行山を移す」の類義語

 

「愚行山を移す」の類義語についても見ていきましょう。
類義語としては、「雨垂れ石を穿つ」「念力岩をも通す」「石に立つ矢」などがあげられます。

雨垂れ石を穿つ

「雨垂れ石を穿つ」とは小さなことだろうとも根気よく続ければ、やがて大きなことを成し遂げられることの例えです。

軒先から滴り落ちる雨のしずくであっても、長い間ずっとぽたぽたと同じところに落ち続けていれば、いつかは石に穴を開けてしまうだろうという描写から来ています。

石に立つ矢

「石に立つ矢」は、気持ちを込めることでどんなことでも成し遂げることができることを意味します。

古代中国・前漢の時代に「李広」という人物がいました。
ある日、彼は母親の敵である虎と勘違いして石に矢を射ちました。
しかし、その矢は跳ね返されることはなく、刺さるはずのない石に突き刺さったのです。

この故事から「石に立つ矢」という言葉は生まれました。

思う念力岩をも通す

「思う念力岩をも通す」は、必死になって行えばどんなことであろうと実現できるという意味があります。
大きな障害を岩にたとえ、やりとげる、なしとげるという意思があれば必ず成就するという例えとなります。

前述の「李広」が虎と勘違いして石を射抜いた話を聞いた「揚子雲」という人物は、「至誠なれば則ち金石、為に開く」と感想を漏らしました。
これは、強い意志を持って誠心誠意ことに挑めば、金石だろうと貫くことができるという意味合いになります。

この「揚子雲」の感想から「思う念力岩をも通す」という表現は生まれました。

まとめ

「愚行山を移す」は、たゆまぬ努力が成功を呼ぶという意味合いの言葉です。
ひたすら続けることで、物事をなすという意味でも用いられます。

この言葉は、愚行という老人が、生活の邪魔になっていた山を平らにしようとしたとされる故事から来た言葉です。

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