優れた素質や才能を持つ者はどこにいても目立つという様子を「瑠璃も玻璃も照らせば光る」と表現することがあります。
瑠璃や玻璃といった宝石が目を引く様子から生まれた言葉です。
では、この瑠璃や玻璃とはどのような宝石なのか、ここでは「瑠璃も玻璃も照らせば光る」という言葉についてその意味や用い方、類義語と合わせてみていきましょう。
目次
「瑠璃も玻璃も照らせば光る」とは
まずは「瑠璃も玻璃も照らせば光る」ということわざについて、その意味や用い方を見ていきましょう。
「瑠璃も玻璃も照らせば光る」の意味
「瑠璃も玻璃も照らせば光る」とは、優れた素質や才能を持つ者はどこにいても目立つということを例えた言葉です。
才能や素質のある人物は、活躍の場を与えられると能力を存分に発揮するという意味でも使用されます。
「瑠璃も玻璃も照らせば光る」の用い方・例文
「瑠璃も玻璃も照らせば光る」は、「機会があれば」ということを前提に使う表現となります。
平凡な人々の中から非凡な人材が発掘された際などに「瑠璃も玻璃も照らせば光る」と表現されることがあります。
逆に、その他大勢の中にいながらもその才能を見いだされることに対しても「瑠璃も玻璃も照らせば光る」と言われます。
「瑠璃」と「玻璃」とは
「瑠璃も玻璃も照らせば光る」にごくとして含まれる瑠璃と玻璃は共に「七宝」という仏教の中で貴重とされる宝のひとつです。
「瑠璃」とは
瑠璃とは、青く美しく輝く宝石のことです。
アフガニスタンなどで産出される青みの濃いラピスラズリの事ともされています。
ちなみに、瑠璃は紫を帯びた濃い青のものが多いそうです。
「玻璃」とは
玻璃とは、無色透明の水晶のことです。
また、無色のガラスのことを指すこともあります。
「七宝」とは
瑠璃や玻璃が数えられる「七宝」は仏教用語ので、7つの貴重な宝玉を指します。
無量寿経の中では「金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲・珊瑚・瑪瑙」を「七宝」とされています。
また、法華経では「金・銀・瑠璃・硨磲・瑪瑙・真珠・玫瑰」が「七宝」とされます。
無量寿経が浄土宗および真宗の根本経典、法華経は天台宗の根本経典となりますので、宗派によって「七宝」は解釈が異なります。
例えば、法華経の中では「瑠璃も玻璃も照らせば光る」にある玻璃は七宝に数えられていません。
「瑠璃も玻璃も照らせば光る」の類義語
最後に「瑠璃も玻璃も照らせば光る」の類義語を見ていきましょう。
類義語としては「紅は園生に植えても隠れなし」「錐の嚢中に処るが如し」などがあげられます。
紅は園生に植えても隠れなし
「紅は園生に植えても隠れなし」とは、優れた者はどこにいても目に立つということの例えです。
「紅」は紅花のこと、「園生」は花を植えるために囲ったスペースのことです。
紅花は、草の生い茂る庭園の中であってもひときわ目立つことから生まれたとされています。
錐の嚢中に処るが如し
「錐の嚢中に処るが如し」とは、優れた者はいずれ頭角を現すことを意味します。
袋の中に錐を入れておいたらその先が袋から突き出てくるように、英才は隠れていてもいつか必ず真価をあらわすという意味合いがあります。
まとめ
「瑠璃も玻璃も照らせば光る」は。大勢に埋もれていても、照らせば光るその才能のことを言ったことわざです。
瑠璃も玻璃はどちらも、仏教では七宝という貴重な宝石に数えられている存在です。
その類義語としては「紅は園生に植えても隠れなし」「錐の嚢中に処るが如し」などがあげられます。