「待てば海路の日和あり」とはどんな意味?もともと違う表現だったのが変化して生まれたことわざだった!!

今は状況が悪くても焦らず待っていればやがて幸運が訪れるという表現で用いられる「待てば海路の日和あり」という言葉。
これは、焦らないことの大切さを説いたことわざです。

出航の時を待つ様子から生まれたように見えますが、実はこの言葉は全く異なる言葉から来たのだとか。

そこでここでは、この「待てば海路の日和あり」という言葉について、その意味や由来、類義語に対義語について見ていきましょう。

「待てば海路の日和あり」とは

 

まずは「待てば海路の日和あり」という言葉について、その意味や由来を見ていきましょう。

「待てば海路の日和あり」の意味

「待てば海路の日和あり」とは、今は状況が悪くとも焦らず待っていれば幸運はそのうちにやってくるという意味です。

海が荒れているとなかなか出航することはできません。
しかし、機会を待っていれば出航に相応しい日が訪れます。
仮に時化が続いても、いつかは航海に適した穏やかな天気になります。
だからこそ、じっくりと好機を待つことが大切なのだという意味合いで用いられます。

省略して「待てば海路」と言われることもあります。

もとは「待てば甘露の日和あり」だった

「待てば海路の日和あり」は、もともと「待てば甘露の日和あり」という表現だったと考えられています。

この「甘露」とは、中国で王の仁政に対して天が降らせるとされる伝説上の甘い液のことです。
しかし、「甘露の日和」では実感が湧かなかったことから、日常に近い「海路の日和」という言葉へと変化していったと考えられています。

「待てば海路の日和あり」の類義語

 

ここからは「待てば海路の日和あり」の類義語を見てみましょう。
類義語としては、「石の上にも三年」「果報は寝て待て」「嵐の後には凪が来る」などがあげられます。

石の上にも三年

「石の上にも三年」とは、最初は辛くとも3年辛抱すれば報われるということを例えた言葉です。

石は堅く冷たいため、じっと座ってなどいられません。
しかし、そんな石に3年も座り続ければ次第に暖まります。

この様子が耐えることの教訓として広まったのが「石の上にも三年」となります。

果報は寝て待て

「果報は寝て待て」とは、幸福は自分の力で招き寄せるものではありません。
むしろ、向こうからやってくるものだとされています。

そのため、やれることをやってしまったら、後は焦らずに待つのが良いという教訓となっています。

嵐の後には凪が来る

「嵐の後には凪が来る」とは、苦境の後には平穏が訪れるものだという例えです。
今は状況が悪くても、焦らずに待っていれば良いことが訪れるという教訓として用いられます。

嵐の激しい風雨の後には穏やかな風がやってくるという天候の変化から来た言葉となります。

「待てば海路の日和あり」の対義語

 

「待てば海路の日和あり」の対義語を見てみましょう。
対義語としては、「先んずれば人を制す」「思い立ったが吉日」などがあげられます。

先んずれば人を制す

「先んずれば人を制す」とは、人よりも先に行動すれば有利な立場に立てるという意味です。

競争ごとなどでは、先手を打つことで相手を抑え込むことが可能になります。
しかし、後手に回れば自分が抑え込まれてしまいます。
だからこそ先に動くべきだという教訓として広まった言葉、それが「先んずれば人を制す」です。

思い立ったが吉日

「思い立ったが吉日」とは、何かを思い立った日にこそ行動すべきであるということをいう言葉です。

何か新しいことを始める際は、つい躊躇ってしまうものです。
しかし、何もせずにいると何も変わりません。

だからこそ思いついたらすぐに行動すべきだと言っているのが、「思い立ったが吉日」という言葉なのです。
何事も決心をしたらその日のうちに取りかかるのが良いということを伝える際などに用いられます。

まとめ

「待てば海路の日和あり」は、今は状況が悪くても、焦らずに待っていれば事態が好転することを意味します。
この言葉はもともと「待てば甘露の日和あり」という言葉だったとされますが、甘露という言葉が日常的ではないことから変化した言葉だとされています。

その類義語としては、「石の上にも三年」「果報は寝て待て」「嵐の後には凪が来る」などがあげられます。

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