若い頃のスキルが残っていることの表現に「昔取った杵柄」という言葉があります。
年齢を重ねても昔に身につけた知見や技量を持っていることいいます。
ではmなぜその様子を「昔取った杵柄」と言うのでしょうか?
ここでは、この「昔取った杵柄」という言葉についてその意味や用い方、由来や対義語をについて見ていきましょう。
目次
「昔取った杵柄」とは
まずは「昔取った杵柄」という言葉についてその意味や用い方を見ていきましょう。
「昔取った杵柄」の意味
「昔取った杵柄」とは、若い頃に身につけた知見や技量が年齢を重ねても残っていることを意味します。
腕前が健在である、腕前が衰えていない、ということを指す表現として使用されます。
歳をとっても、過去にやっていたことが頭や体が覚えていて衰えずに実行できることをいいます。
「昔取った杵柄」の用い方・例文
「昔取った杵柄」は、しばらく遠ざかってはいるものの、かつて修練したので自信を持っている事柄の例えとして使用します。
年月を経たとしても腕の覚えるのある事柄について用いられます。
「あの人は昔はすごかった」というような武勇伝を語る言葉ではありません。
今でもその当時と同じく衰えていないことを言った言葉となります。
しばらく泳いでいないと言っていた人が達者な泳ぎを見せた際「この泳ぎも昔とった杵柄だよ」といった風に謙遜として用いることができます。
「杵柄」とは
では「昔取った杵柄」の「杵柄」とは何を指すのでしょうか。
「杵柄」は餅つきに使うあの道具の持ち手部分のこと
「杵柄」とは、餅つきなどに用いる杵の持ち手部分のことです。
そして、「昔取った杵柄」は杵を使った餅つきから来たとされています。
餅をつく際は、杵を持ち上げて降ればいいというわけではなく、臼の中の餅をこねる人のタイミングや店舗を見計らうのが非常に重要な要素となります。
経験者はこの餅つきが上手にできるわけですが、年を重ねたからといって突然下手になることもありません。
重く感じるようになった杵も経験でカバーしたりすることができるようになるわけです。
歳を重ねた人が餅つきが達者な様子から、「昔取った杵柄」という言葉は生まれたとされています。
「昔取った杵柄」の対義語
最後に「昔取った杵柄」の対義語を見ていきましょう。
対義語としては、「昔千里も今一里」「騏驎も老いては駑馬に劣る」「昔の剣今の菜刀」などがあげられます。
昔千里も今一里
「昔千里も今一里」とは、優れた力を持つ者でも年を取れば人並み以下になってしまうことを例えた言葉です。
才能溢れる人もいずれは凡人になってしまう、そんな儚さを表現したことわざとされています。
一日に千里走ることができる馬も、年を取ると一里るのも大変になるだろう、ということを人に置き換えた言葉となります。
騏驎も老いては駑馬に劣る
「騏驎も老いては駑馬に劣る」とは、優秀な人物も老いれば働きが普通の人物にすら及ばなくなってしまうという意味があります。
これは古代中国の戦国時代、弁論家だった蘇秦が残した言葉から来ています。
「騏驎」とは、1日に千里を走ると言われる名馬のことを言います。
「駑馬」は、逆に1日に一里すらも走れないような駄馬のことです。
「騏驎」を若く優秀な人物に、「駑馬」はかつて優秀とされた高齢の人物に当てはめたのです。
昔の剣今の菜刀
「昔の剣今の菜刀」とは、どれだけ良いものであっても古くなれば時世に合わなくなり役に立たなくなることの例えです。
かつて戦場で用いられ重宝されていた剣であっても、今となっては台所で野菜を切ることくらいにしか役立たない、という意味合いの言葉となっています。
転じて、どのように有能だった人でも老いれば役に立たなくなるという意味となります。
まとめ
「昔取った杵柄」は、歳をとっても、若い頃に身につけたことが今でもできることを褒めたり謙遜する際に用いる表現です。
この言葉は、杵を用いた餅つきの描写から来たとされています。
その対義語としては、「昔千里も今一里」「騏驎も老いては駑馬に劣る」「昔の剣今の菜刀」などがあげられます。