「鹿を追うものは山を見ず」とはどんな意味のことわざ?もともとは2つの言葉だった??

1つのことに囚われて他を変える見る余裕がないことをあらわす言葉「鹿を追うものは山を見ず」。
これは、鹿を捕まえようと夢中になって追いかけているあまり、自分が走っている山のことが見えていないという様子から来た言葉灯されています。

ここでは、この「鹿を追うものは山を見ず」という言葉について、その意味や成り立ち、類義語について見ていきましょう。

「鹿を追うものは山を見ず」とは

 

まずは「鹿を追うものは山を見ず」という言葉について見てみましょう。

「鹿を追うものは山を見ず」の意味

「鹿を追うものは山を見ず」とは、1つの対象を追求するあまり他を顧みる余裕がないことを例えた表現です。
また、利益を得ることに熱中している者は、他のことを顧みなくなることの例えとしても使用されます。
特定の物事に囚われていることで、本質を見失っている状態を指すこともあります。

視野が狭まっている状況に対して用いる

「鹿を追うものは山を見ず」は、自分のことを優先して相手のことを考えられていないような状況で使用します。
ある事柄に集中していている状況、つまり夢中になるあまり、視野が狭くなっている際に用いる言葉ということです。

「鹿を逐うものは山を見ず」と表記することも

「鹿を追うものは山を見ず」には、他の漢字表記で「鹿を逐うものは山を見ず」となることもあります。
意味は変わらないので、どちらを使用しても問題ありません。

しかし、「追う」が常用漢字なのに対して「逐う」は常用外になりますので、「鹿を追うものは山を見ず」という表記のほうが一般的と考えられます。

2つの言葉が混合されて生まれた?

 

「鹿を追うものは山を見ず」は、ある2つの言葉が混合されて生まれたとされています。
ここからはそれら「鹿を追うものは山を見ず」がどのようにして生まれた言葉なのか、その成り立ちについて見ていきましょう。

由来とされる言葉のひとつ「獣を逐う者は太山を見ず」

「鹿を追うものは山を見ず」はある2つの言葉が混合して生まれたと考えられています。

その言葉の1つが、前漢の時代にまとめられた思想書『淮南子-説林訓』にある「獣を逐う者は太山を見ず」という一節にです。
この一節は、動物を捕えようとして追う人は、獲物に心を奪われていて大きな山全体は目に入らないということを言っています。

もうひとつの由来とされる言葉「中原に鹿を逐う」

もう1つの混合された言葉が「中原に鹿を逐う」です。
この言葉は、王位を得ようとして戦うことを意味します。

それが転じて、重要なものを得るために競争すること、という意味でも用いられます。

その意味は「鹿を追うものは山を見ず」とは無関係です。
しかし、「獣を逐う」と「鹿を逐う」という非常に親しいキーワードが合わさった結果、「鹿を追うものは山を見ず」になったと考えられています。

「鹿を追うものは山を見ず」の類義語

 

最後に「鹿を追うものは山を見ず」の類義語を見てみましょう。
その類義語としては「木を見て森を見ず」「金を攫む者は人を見ず」などが挙げられます。

木を見て森を見ず

「木を見て森を見ず」とは、小さいことに心を奪われ全体を見通さないことを例えた言葉です。
些細なことにこだわりすぎると本質を見落とすことがあるという意味でも用いられます。

一本の木だけを見ることだけに気を取られていると、その木のある森全体を見ることができません。
そこから全体を見ることができていない、という意味で用いられるようになりました。

金を攫む者は人を見ず

「金を攫む者は人を見ず」は、ただ1つのことに夢中になると他のことがまったく目に入らなくなることを意味します。

この言葉は、中国に伝わる物語から来た言葉です。
昔、金を売る店から金をつかみ取り逃げようとした男がいました。
しかし、周囲には人もいたためつかまってしまいました。
捉えられた男が、役人に犯行の理由を尋問されると「金を取ろうとした時、金しか見えなくて、周囲に人がいるのが目に入らなかった」と答えたというのです。

この物語から、「金を攫む者は人を見ず」という言葉は生まれました。

まとめ

「鹿を追うものは山を見ず」は1つのことに集中するあまり、他の物事を顧みない状況となっていることをあらわしています。
危険がつきものの山に入るという行為を、鹿を追うことに夢中になっているあまり森に迷い込んでしまう、そんな状況から来た言葉とされています。

この言葉は、「獣を逐う者は太山を見ず」と「中原に鹿を逐う」が合わさったことで生まれたともされています。

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