「畳の上の水練」とはどんな意味の言葉?その類義語は?砂上の楼閣とは何が違う?

理論や方法は立派であっても、役に立たないことを「畳の上の水練」と言います。
どんな優れた理屈でも、実際に現場で活用できなければ意味がないことをあらわしています。

ここでは、この「畳の上の水練」について、その意味や類義語について見ていきましょう。

「畳の上の水練」とは

 

まずは「畳の上の水練」が、どのような意味なのかを見ていきましょう。

「畳の上の水練」の意味

「畳の上の水練」とは、理論や方法を知っていても、実際の役には立たないことの例えです。
理論や方法はもっともらしく詳しいのだけれども、実際の実績や経験を積んでいないがために役に立たないことという意味で使用されます。

畳の上でいくら水練の練習をしても、実際に水に入らないと泳げるようにはなりません。
この畳の上での水泳の練習を「理屈」と例えたのが「畳の上の水練」なのです。

ちなみに、略して「畳水練」と表現されることもあります。

「畳の上の水泳」ではない!!

「畳の上の水練」は、「水練」が正しい表現となります。
泳ぐ練習という意味合いがあるため、「水泳」ではないので注意しておきましょう。

ちなみに、「水練」には江戸時代に 発症した伝統的な水泳方式という意味もあります。
武術の一種という色合いもある言葉です。
紛らわしいですが、「畳の上の水練」の水練は、この伝統的な水泳方式という意味ではなく、水泳の練習の略になります。

「畳の上の水練」の類義語

 

「畳の上の水練」の類義語としては、「机上の空論」や「絵に描いた餅」「鞍掛け馬の稽古」等があげられます。

机上の空論

「机上の空論」とは、机の上で考えただけの実際には役に立たない意見や考えのことです。
これは、現実的ではない考えについても用いられます。

計算上はうまくいく方法も、それのとおりに行おうとしても実現不可能なことは多くあります。
このように、いくら理論上や理屈の上では正しくても、実際には役に立たない考えや実現不可能な意見に対して用いられます。

絵に描いた餅

「絵に描いた餅」とは、もっともらしいものの実際には役に立たないことです。
実現しない目論見の例えとしても使用されます。

絵として描かれた餅は腹の足しになりません。
このように本物でなければ何の値打ちもないことを言います。

鞍掛け馬の稽古

「鞍掛け馬の稽古」とは、実際には役に立たない無駄な修行の例えです。
「鞍掛け馬」とは、木馬のことで本物の馬のことではありません。

木馬でいくら乗馬の練習を重ねても、実際の乗馬技術は向上しないことから来た言葉です。

「砂上の楼閣」との違い

 

「畳の上の水練」と似たような言葉に、「砂上の楼閣」があります。
しかし、このふたつは、微妙に違う言葉となります。

「砂上の楼閣」とは

「砂上の楼閣」とは、外見は立派ですが、長く維持できないものの例えです。
また、実現不可能なことの例えとしても使用されます。

ただでさえ崩れやすい砂の上に、大きく高い建物を立てたとしても長くは維持できません。
すぐに傾いたり崩れてしまいます。

そこから、現実離れしていて役に立たないようなことをあらわすことばとして用いられています。

「砂上の楼閣」との意味の違い

「畳の上の水練」と「砂上の楼閣」は似ているようで微妙に違います。

「畳の上の水練」は、実践経験がないために、もっともらしい理屈であっても役に立たない意見のことを言います。
逆に「砂上の楼閣」は、現実離れしていて役に立たない意見であることを言うのです。

役に立たないという点は同じですが、役に立たない理由には違いがあるのです。

まとめ

「畳の上の水練」は、経験が浅かったり未経験であるがゆえに、実際のところを知らないため、立派な意見であっても役に立たないことを意味しています。
実際問題、畳の上でクロールや平泳ぎの練習をしたところで実際にプールや海や川で泳げるようにはなりません。

このように、実際にやっていなければ役に立たないことを「畳の上の水練」と表現するのです。

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