今にも消えてしまいそうな物事のことを「風前の灯火」と表現することがあります。
転じて、人生や一生における物事の儚さという意味で使用されることもあります。
ここでは、この「風前の灯火」という言葉について、その意味や類義語・対義語について見ていきましょう。
目次
「風前の灯火」とは
まずは「風前の灯火」という言葉の意味や表現ついて見ていきましょう。
「風前の灯火」の意味
「風前の灯火」とは、目前に危機が迫り、今にも命が尽きようとしていることの例えとなる言葉です。
人生や一生における物事の儚さを例える際に用いられることもあります。
「風の前の灯火」や「風前の灯」といった表現をされることもある
「風前の灯火」は、風にさらされて今にも吹き消されようとする火のことです。
「風の前の灯火」や「風前の灯」などの表現されることもありますが、いずれも同じ意味です。
とはいえ、一番知られた表現は「風前の灯火」となっています。
「風前の灯火」の類義語
ここからは「風前の灯火」の類義語について見てみましょう。
類義語としては、「風の前の塵」「魚の釜中に遊ぶが如し」などがあげられます。
風の前の塵
「風の前の塵」は、危険が迫っていることの例えとなる言葉です。
風にさらされている塵から来た表現となっており、今まさに風で塵が飛んでしまいそうな状況をあらわしています。
転じて、物事の儚さの表現としても使用されます。
魚の釜中に遊ぶが如し
「魚の釜中に遊ぶが如し」とは、災難が迫っていることも知らずに呑気に構えていることをあらわしています。
この表現は、古代中国の歴史書「後漢書」-張綱伝から来ています。
魚が煮られるとも知らず、釜の中で泳いでいるという表現から、危機的状況が迫っているにも関わらず・・・という状況をあらわして用いられるようになりました。
ただし、この言葉は危機的状況にあることに気が付いていないという意味合いが含まれているという点に注意が必要です。
泥舟に乗る
「泥舟に乗る」とは、すぐにダメになりそうなプランや意見、チームなどを比喩する際に用いられます。
もしくはそれに乗っかってしまうこという意味でも使用されます。
泥で作った船が、水に濡れたらすぐに沈んでしまう様子からきた表現となっています。
「風前の灯火」の対義語
最後に「風前の灯火」の類義語について見ていきましょう。
対義語としては、「灯滅せんとして光を増す」があげられます。
灯滅せんとして光を増す
「灯滅せんとして光を増す」とは、物事が滅びる直前に、一時勢いを盛り返すことをあらわしています。
灯火が消えるその一瞬だけ、火はその光を増すことを、最後の最後に勢いが戻ってくることに例えたのです。
まとめ
「風前の灯火」は、風にさられ今にも消えてしまいそうな火から来た言葉で、目前に危機が迫っているため今にも命が尽きようとしている状況を指して用いられます。
人生や一生にの儚さをあらわす際にも用いられます。