「松島や ああ松島や 松島や」という俳句を松尾芭蕉は詠んでいない?!なら誰が詠んだの??

松尾芭蕉の俳句の中でも広く知られているもの、それが「松島や ああ松島や 松島や」という作品です。
しかし、実はこれ……松尾芭蕉が詠んだものではありません。
では、一体誰が詠んだ俳句なのでしょうか?

今回はそれら「松島や ああ松島や 松島や」について解説します。
ここでは松尾芭蕉や「松島や ああ松島や 松島や」の作者について説明します。

松尾芭蕉と松島

まずは松尾芭蕉と松島についての関係を見ていきましょう。

松島で俳句を詠み損ねた松尾芭蕉

松尾芭蕉は全国各地を行脚して俳句を詠んでいた人物です。
そんな旅の途中、松尾芭蕉は松島を訪れました。

その際、松島の息を吞む絶景に出会っていまったわけです。
しかし、そのあまりの美しさに松尾芭蕉は俳句を詠めなかったとされています。

事実、彼が見た松島の景色は詩にできないほどの絶景だったと称されているとか。

後述して松島を詠んだ俳句はある

前述通り、松尾芭蕉は松島の俳句を詠めなかったそうです。
実際に松島の絶景は言葉にできるものではなかったのかもしれません。

しかし、実際には松島のことを「島々や千々にくだきて夏の海」と詠ったという記録が残っています。
つまり「松島や ああ松島や 松島や」ではないものの、他の俳句は作っていたということになります。

これが勘違いの原因なのかもしれません。

有名な松島の句

前述のことからもわかるように「松島や ああ松島や 松島や」を詠んだのは松尾芭蕉ではないということがわかります。

では「松島や ああ松島や 松島や」という俳句は誰が詠ったのか。

誰が「松島や〜」と詠んだの?

ここからは「松島や ああ松島や 松島や」を詠んだ人物についてまとめます。

詠んだのは田原坊という狂歌師

「松島や ああ松島や 松島や」は松尾芭蕉ではなく弟子の田原坊が作ったものだとされています。

田原坊は現在の神奈川県である相模の狂歌師です。

そして、彼が詠んだ句が「松島や さて松島や 松島や」という句を詠んでいます。芭蕉が詠んだと言われる「松島や ああ松島や 松島や」とは若干異なっています。

なんで松尾芭蕉の俳句と勘違いされたの?

では、なぜ「松島や ああ松島や 松島や」が松尾芭蕉のものだと勘違いされてしまったのでしょうか。
これに関してはある書物に関係しています。

「松島図誌」という書物に田原坊が詠ったとされる「松島や さて松島や 松島や」という句が収められています。
この書物には、あまりの絶景に俳句を詠めなかった松尾芭蕉の話も掲載されているのだとか。

その記載によって、俳句を作ったのが松尾芭蕉と勘違いして伝えられた可能性があるとされています。
そこから芭蕉はあまりの美しさに「松島や ああ松島や 松島や」という俳句を詠ったと言われるようになそうったようです。

「松島や ああ松島や 松島や」の季語は?

最後に「松島や ああ松島や 松島や」について詳しく見ていきましょう。

「松島や〜」は季語のない無季俳句

「松島や ああ松島や 松島や」は俳句であるものの季語は存在しないのが特徴となっています。

これら季語のない俳句のことを無季俳句と呼びます。
「松島や ああ松島や 松島や」はまさにそれら無季俳句の一種とされています。

実際に松島は地名であり、季語としては使用されていません。
その他の「や」や「ああ」も感情を表す言葉であって季語ではありません。

つまり、この俳句に季語は存在しない作品なのです。

実際に松尾芭蕉が詠んだ無季俳句

松尾芭蕉が詠った無季俳句には別のものがあります。
それが「 歩行ならば 杖つき坂を 落馬かな」というものです。

このように俳句の世界では季語のないものもあったり、松尾芭蕉は型に囚われない俳句もいくつか生み出していることがわかります。

まとめ

「松島や ああ松島や 松島や」は松尾芭蕉の俳句ではありません。
これは松尾芭蕉に同行していた弟子のものとされています。
ただ、実際に松尾芭蕉は松島で俳句を詠んでいないのかというとそうではなく、他の俳句を詠んでいます。

とにもかくにも松島は絶景として知られている場所なので、もし気になる方は実際にその美しさを拝みに行ってみてはいかがでしょか。

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