伊達政宗の子孫って今何をしているの?現在活躍している伊達政宗の子孫を紹介!

英雄の子孫ってロマンがありますよね。英雄の血を継いだ子孫が何をしてるかって気になりますよね。

日本の英雄、戦国武将伊達政宗の子孫といわれる人が現在活躍していましたので、伊達政宗とどんな血のつながりがあるのか紹介します。

仙台藩初代藩主伊達政宗

仙台を開府した伊達政宗

伊達政宗は東北最大の都市「仙台市」の基となった仙台藩の初代藩主です。現在の米沢市にあった米沢城出身の伊達政宗ですが、本拠地を一度大崎市にある「岩出山城」を変えます。

そしてその後「関ヶ原の戦い」の翌年、1601(慶長6)年に再び本拠地を変えます。城と城下町を設置したのは「千代」と呼ばれていた土地で、名を「仙台(仙臺)」に改称したことで仙台を開府、仙台藩初代藩主となったのです。

その後も伊達政宗は二度にわたる大阪の陣や江戸幕府への貢献を積み重ねることで徳川家からの信頼を大きくしました。江戸幕府の二代目征夷大将軍「徳川秀忠(とくがわひでただ)」からは父、その子供「徳川家光(とくがわいえみつ)」からは爺と呼ばれるほど親密になり明治時代まで改易されることのなかった仙台藩の礎を築いたのでした。

子宝にめぐまれた伊達政宗

伊達政宗には多くの妻女がいました。正室には初代征夷大将軍「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)」の子孫である「田村」氏の「愛姫(めごひめ・よしひめ)」をはじめ少なくとも7人の側室がいたそうです。

そして10男8女の子供にも恵まれています。その中には嫡男で二代目仙台藩主「伊達忠宗(だてただむね)」や長男ですが側室の子であった伊予宇和島初代藩主「伊達秀宗(だてひでむね)」、長女の「五郎八姫(いろはひめ)」といった子供がいました。伊達政宗が子供に恵まれたからこそ現在もその子孫たちがいらっしゃり、活躍しているわけですね!

芸人として活躍する子孫「伊達みきお」


出典:YouTube

サンドウィッチマン伊達みきおの系譜をたどる

伊達政宗の子孫だけど子孫ではない?

現在もっとも人気のある芸人の一人として間違いなく名前の上がる「サンドウィッチマン」の伊達みきおさん。彼は言わずも知れた伊達政宗の子孫の一人です。

しかし家系図もあるのではっきりしているのですが、実は伊達みきおさんは伊達政宗の子孫ではありません!!!「ちょっと何言ってるかわからない」ってなると思いますので今回作成した家系図とあわせて下記でしっかり解説します!

二人いる伊達政宗

彼の血筋を説明する前に一つ伊達家のややこしい部分を説明します。仙台藩初代藩主「伊達政宗」は実は「二代目伊達政宗」というべき人物です。

仙台藩初代藩主「伊達政宗」は鎌倉幕府の御家人であった「伊達朝宗(だてともむね)」を初代とする「伊達氏の第十七代当主」です。そして初代の後、南北朝の時代に活躍したのが「伊達家中興の祖、九代目当主の伊達政宗」です。

この「初代伊達政宗」というべき人物にあやかって「政宗」と名付けられたのが仙台藩初代藩主「伊達政宗」なのです。ただ、今回の紹介はあくまでも仙台藩初代藩主「伊達政宗」を中心にした話ですので、もう一人の「伊達政宗」について記載する際は「九代目伊達政宗」と紹介させていただきます。

伊達みきおの先祖は「大條」氏

話を伊達みきおさんに戻します。彼は「九代目伊達政宗」の弟「宗行」が分家してできた「大條(おおえだ)」氏の末裔です。ですので父系で見ると伊達氏八代当主の子孫となります。大條氏は現在の福島県伊達市梁川町東大枝に居館を構え伊達家の重臣として活躍をしました。伊達政宗の時代には現在の宮城県亘理郡坂元に四千石を与えられるほど重用されていました。

ちなみに六代当主「大條宗家(おおえだむねいえ)」は「九代目伊達政宗」の子孫、伊達氏十三代当主「伊達尚宗(だてひさむね)」の次男「留守景宗(るすかげむね)」の三男すなわち「伊達尚宗の孫」なので、大條氏は「九代目伊達政宗」の父系子孫にもなります。

伊達政宗の女系子孫となった大條氏

江戸時代の後期、大條家十四代当主「大條道英(おおえだみちひで)」はある女性と結婚します。その女性は「亘理伊達家」と「岩出山伊達家」の双方の血を引く「伊達村好(だてむらよし)の娘」でした。この二つの一族は以下のような一族になります。

「亘理伊達家」は伊達政宗の九男「伊達宗実(だてむねざね)」を初代とする伊達家の分家の一つ 
「岩出山伊達家」は伊達政宗の四男「伊達宗泰(むねやす)」を初代とする伊達家の分家の一つ

そのため大條家十五代当主「大條道直(おおえだみちなお)」からは大條氏、ひいては伊達みきおさんは伊達政宗の女系子孫ということになります。

伊達姓への復姓

今のように大條氏が伊達姓を名乗るようになるのは明治時代からです。幕末、戊辰戦争の後、仙台藩は「奥羽越列藩同盟」の盟主と新政府軍に反抗しました。その為、敗戦後の仙台藩は解体の危機に陥っていました。

ですが新政府軍との交渉により仙台藩は26万石に大幅減封、藩主は四男であった「伊達宗基(だてむねもと)」に家督を譲るという条件は付きましたが、伊達氏の存続は許されました。この際に新政府軍との交渉にあたったのが当時仙台藩家老だった大條氏十七代当主「大條道徳(おおえだみちのり)」でした。

この藩存続のための功績が認められ、藩主「伊達慶邦(だてよしくに)」は大條氏に伊達姓へ戻ることを許されたそうです。そして名を「伊達宗亮(だてむねあき)」へと改名しました。

伊達みきおにつながる系譜のまとめと家系図

これが500年ほど名乗った大條姓から再び伊達姓になった伊達みきおさんの祖先の系譜です。数百年にわたる系譜なので入り組んだ個所をありましたのでまとめてみました。

伊達みきおさんは・・・ 
・伊達氏八代当主の息子「宗行」が分家し「大條宗行」を名乗ったことで始まる「大條氏」の末裔 
・六代当主「大條宗家」は「九代目伊達政宗」の子孫のため「九代目伊達政宗」の父系子孫になった 
・十五代当主「大條道直」の母は伊達政宗の子孫なので、「伊達政宗の女系子孫」になった 
・十七代当主「大條道徳」は伊達への復姓を認められ「伊達宗亮」を名乗るようになった 
以上の由来を持つ大條氏の出身です。

伊達氏当主と大條氏当主の関係性を合わせた家系図を作成しましたので、こちらもご覧ください。名前の横の数字が代数になっています。また、伊達氏当主と大條氏当主の活躍時期を合わせるために当主名の間隔がずれています。

血筋的には伊達政宗もかかわっていますが、十五代当主「大條道直」の母親の実家が伊達政宗の子孫という関係ですので、当時が男系社会だったことを考えると子孫を名乗ることの無い関係のようです。ただ伊達氏八代当主の息子「宗行」の血筋なので伊達氏の氏族なのは間違いないです。さらに大條氏六代当主は「もう一人の伊達政宗の子孫」なので伊達政宗の子孫というのもあながち間違いでは無いですね!!

東日本大震災後の活動

伊達みきおさんのお笑いコンビ、サンドウィッチマンは2007年のM-1優勝、2009年にはキングオブコント準優勝と次々実績を上げ、現在ではTVでは見ない日の無い活躍をしていますよね!現在もTVのレギュラー番組を10本持っている東北一の、いや日本一の人気芸人として活動していますが、転機となったのはやはり東日本大震災なのではないでしょうか。

2011年3月11日東日本大震災当日、サンドウィッチマンの二人は地元ローカル番組の収録のため気仙沼港市場を訪れておりそこで被災しました。当日気仙沼は津波とその後の火災で避難もできなたっかそうですが、その後東京に向かった二人は被災者が安否情報を伝えられるように積極的に活動をし、自分たちのブログコメント欄を安否情報の連絡掲示板として開放もしました。

同月16日サンドウィッチマンは「東北の復興の為に、被災者の支援の為に」を目的とした「“東北魂”東北地方太平洋沖地震義援金口座」という銀行口座の開設しました。この義援金口座は2012年10月以降は「震災孤児・遺児」の支援を目的に変更していますが、2019年8月現在まだ続いています。そして2019年7月10日現在で4億円を超える金額の義援金が集まっているそうです。

これからも伊達みきおさん、そしてサンドウィッチマンを通して東日本大震災を風化させず、記憶に埋もれさせずにいたいと筆者は思っています。

世界最大のミスコンテスト『ミス・ワールド』で活躍した伊達佳内子さん


出典:YouTube

伊達佳内子さんとは

伊達みきおさん以外にも伊達政宗の子孫で活躍している人物がいますので紹介します。その人の名前は「伊達佳内子(だてかなこ)」さん。

世界3大ミスコンテストの中で最も歴史が長く、参加国は世界最多を誇る世界で最も権威のある「ミス・ワールド」の「ミス・ワールド2018日本代表」に選ばれた女性です。170cm近い身長と黒髪のロングヘアーが美しいアジアンビューティーです。彼女は世界大会でも「タレント部門1位」という日本代表初の快挙。さらにトップモデル部門でも32位に入賞したので2部門での入賞というこちらも日本人初の快挙を成し遂げました。

そんな彼女は伊達政宗直系の二十一代目の子孫というプロフィールを持っていましたのでどのような関係の子孫なのかを紹介したいと思います。

伊達佳内子さんの系譜をたどる

伊達佳内子さんは「伊達政宗直系」子孫といいますが、直系子孫とは何でしょうか?「直系」とは当人と直接を家系図で書くと下に進んでく関係です。例えば祖父母と両親と自分は家系図上まっすぐ降りていくだけなので直系です。ですが、叔母や兄弟は一度祖父母や両親を経由して進んでいく関係なので直系ではありません。

これは「傍系」と呼ばれる間柄です。伊達佳内子さんは「亘理伊達家(わたりだてけ)」と呼ばれる伊達氏の分家の出身ですので、この亘理伊達家が直系なのかご紹介します。

亘理伊達家とは

伊達宗氏第十四代当主「伊達稙宗(だてたねむね)」の子「伊達実元(だてさねもと)」を家祖とし、その子の「伊達成実(だてしげざね)」が亘理郡の亘理城主となったのをはじめとする一族です。

この亘理伊達家は仙台藩一門第二席という扱いを受けていました。この一門というのは仙台藩独自のもので、「一門」「一家」「準一家」「一族」「宿老」「着座」「太刀上」「召出」という順に家臣の家格を定めたものです。その家格の中で「一門」の二番目なのですから、仙台藩の家臣の中ではNo,2という名門中の名門です。この家格は名前だけでなく石高にもあらわれており、亘理伊達家は二万四千三百八十五石を預かっていました。当時一万国以上を有する藩を大名としていましたから、家臣でありながら実質大名という厚遇です。

この厚遇は依怙贔屓などではなく、初代当主の伊達成実が伊達政宗から最も信頼されていた家臣の一人であり、伊達家で最も武功を上げた人物だったことにあります。また、後に二代目として伊達政宗の九男「伊達宗実(だてむねざね)」を迎えたため亘理伊達家は伊達政宗直系となっています。

そして時代は下り戊辰戦争後、仙台藩が大幅減封されたのに伴い亘理伊達家も五十八石に削減されたため、家中を率いて北海道に移住します。そして現在の「北海道伊達市」を開拓しました。

伊達佳内子さんが伊達家直系の子孫というのは間違いないようですね!そしてただの子孫ではなく、仙台藩トップの家柄だったんですね。

まとめ

それぞれ違う活動で輝いている伊達みきお氏と伊達佳内子さん、単純に伊達政宗という有名人の子孫だからという意味だけでなく世界に届けたいものをお持ちの二人ですので、これからのご活躍も楽しみですね!!

また、伊達政宗が気遣いの人だというのが分かる名言を紹介した記事がありますので併せてご覧ください。

伊達政宗は気遣いの人?名言から見る伊達政宗の意外な一面

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出典:出典:YouTube(【公式】サンドウィッチマン コント【結婚相談所】) / YouTube(BWAP MissWorldJapan2018 KanakoDate)

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