お寺にある「木魚」は魚に見えないけど、なぜ「木の魚」って書くの?

「木魚」はお坊さんがお経を読みながら拍子を取る際に利用される仏具です。

ポクポクポク・・・という音が特徴ですが、なぜ木魚という名前なのでしょうか?魚というには真ん丸過ぎますし、木魚をよく見れば彫刻されているデザインは魚ではなく龍です。

そこで調べてみたところ、この名前には原型となったものの名前から来ており、修行僧の心構えが秘められてたということが分かりました。

木魚とは

木魚は多くの寺院で用いられる、読経の際に拍子を取るために使われる仏具です。

日本に木魚を普及させた僧侶「隠元」

日本に木魚が広く使われるようになったのは江戸時代に入ってからとされています。

室町時代には日本に伝わっていたとされますが、普及はしていませんでした。それを現在のように仏具として普及させたのは中国から来た「隠元隆琦(いんげん りゅうき)」という僧侶です。

中国でも名僧として知られた隠元が日本に招かれると、多くの人物が話を聞こうと日々訪れました。あまりに多くの人が隠元のもとに集まったので、影響力が拡大しすぎることを恐れた幕府は、隠元の寺院からの外出を禁止する他、訪問客に関しても人数を制限しました。

しかし一方で、その才覚はしっかり認められていたようで、当時の征夷大将軍「徳川家綱」と会見し、帰依されるようになる他、時の天皇「後水尾法皇」をはじめとする皇族から帰依されていました。

多くの権力者や権威ある人物と交流があり、多くの人々がこぞって訪れる隠元が新しい仏具を伝えたというのなら、確かに爆発的に普及したというのも分かりますね。また、この隠元は他にも「インゲン豆」を日本に伝えた人物とされています。

木魚の原型は「魚板」

魚の形状に見えない木魚ですが、原型は魚の形状そのままで、「魚板(ぎょばん)」と呼ばれていました。

魚板とは板を魚の形に彫ったもので、時刻を知らせるために叩き鳴らされていました。この一種のチャイムのように用いられていた魚板が、なぜわざわざ魚のデザインを施されていたのかといえば、それは魚の外見的特徴に由来します。

水中にいる魚にはまぶたが無いことから一日中目を開けています。その姿から、修行僧に寝る間を惜しんで修行に励むように、というメッセージが込められているそうです。

現在でも木魚の原型となった魚板は隠元が開いた「萬福寺」をはじめとしたいくつかの寺院で見ることができます。

竜の姿が彫られている意味

多くの木魚は魚ではなく、竜が2頭向かい合っている姿が彫刻されています。これも、かっこいいからという単純な理由ではなく、故事に基づいた理由があります。

鯉は急な川に逆らって進み、登りきると龍に姿を変えるとされます。この言い伝えから、木魚には龍の姿が描かれているのです。

つまり、単に向かいあった龍の姿ではなく、元は魚だったけれど試練を成し遂げ龍に進化した姿が木魚には刻まれているということになります。 

楽器としても使われる木魚

日本では読経の際に使われる道具というイメージしかない木魚ですが、他の国では楽器としても用いられています。

中国で楽器として使われた木魚

中国では清の時代に、民衆音楽の楽器として木魚が使われていたそうです。

ちょうど明末期から清初期に活躍した隠元が日本で開いた黄檗宗(おうばくしゅう)でも、読経というよりも音楽の一種にしか聞こえない、木魚をはじめ楽器を使った「梵唄(ぼんばい)」という独自の読経があります。

音楽にしか聞こえない読経を聞いて、木魚をビートを刻むのにちょうどいい楽器だと感じた人がいてもおかしくはありません。

ベトナムの打楽器「モー(Mõ)」


出典:vi.wikipedia.org

古くから中国と関係の古いベトナムでは伝統的な打楽器「(Mõ)」という名前で木魚が使われています。モーは単体だけではなく、大きさを変えたものを並べてセットにしてつかわれることもあるそうです。

まとめ

木魚は今では丸っこく大きな鈴のような形状をしていますが、原型となった魚板では魚の形状をしていました。また、龍の彫刻がされているのも、鯉が急流を逆らって登りきると龍へと成長するという故事に則ったものでした。

清の時代やベトナムでは仏具としてではなく、打楽器として使われているというのですから、文化の違いというのは面白いですね!

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出典:vi.wikipedia.org(Mõ)

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