卑弥呼とはどんな女王だったのか?実は三国志との関わりも

歴史の教科書で必ずと言って良いほど習うのが、邪馬台国の卑弥呼という人物ですよね。ただ、どんな人だったのかとても謎が多いです。

そこで、ここでは神にも近い存在だったと言われる卑弥呼についてご紹介します。あの三国志との関わりもあったようですよ!

卑弥呼という人物について

卑弥呼は邪馬台国の女王です。学校で習った人も卑弥呼についての記憶はすっかり消えてしまっている人もいると思うので、まずはどのような人物だったのかを簡単にご紹介します!

倭国の女王

卑弥呼とは、記録が残っている人物としては、日本史における最初の女王のことです。

時代は弥生時代のこと、当時日本は倭国(わこく)と呼ばれており、倭国には卑弥呼以前に別の王がいました。

しかし、当時の倭国は約30ほどの小国が争う乱世でした。その時代が70年~80年もの長きにわたって続き、倭国は戦乱を繰り返していました。

そんな中、邪馬台国の卑弥呼を倭国の女王と定め、国が平定されることとなりました。これが日本という国の歴史において、平定を成し遂げた初代の王の始まりです。

あくまでも文献に残っている情報しかありませんが、これが卑弥呼という存在について書かれた最初の記述となっています。

占い師で切れ者!

卑弥呼は占い師としての立場を上手に使ったことでも知られています。人々の心を掌握する力を持っており、当時は絶大な力を誇っていたと考えられています。

親魏倭王

また、魏という大国(現在の中国)の皇帝に対して贈り物をすることで「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号を賜り、倭の王であることを外部から認めさせました。

この行為を簡単にまとめると、倭国の中で30余りの小国の長たちが争っている中で、倭国よりも大きく力ある国の長に倭国の王様は卑弥呼であると認めさせ、他の長たちを黙らせたのです。

それによって大衆は一切抵抗することができなくなり、直接的にも間接的にも支配することに成功しました。非常に頭の切れる人だったようですね。

時代が時代だけあって力のある男性が王となる時代において、卑弥呼という女性が女王として君臨したのは歴史を見ても非常に珍しいケースです。

その占いの力と切れる頭こそ、彼女にとって最大の武器だったと言えるでしょう。

実は日本の記録がない

卑弥呼の記録は中国の歴史書に登場するものの、実は日本での記録は残っていません。

そのため、卑弥呼専門の記述などはなく、色々と解明されていません。本当はもっと別の事実があるのかもしれませんね!

三国志との関係

邪馬台国は、激動の三国志時代の中国と交流がありました。

当時の中国は魏呉蜀の三国時代で、邪馬台国は原始的な国だったにも関わらず、魏との国交を行っていたことがわかっています。

当時の中国の歴史書「三国志」にも倭国、邪馬台国、卑弥呼の記述がみられます。

日本でも人気の物語としての「三国志」と、日本最初の女王「卑弥呼」は同じ時代のことで、しかも繋がりがあったことが分かっています。

魏志倭人伝

前述した中国の歴史書「三国志」は、当時の時代のことが書かれた膨大な量の歴史書です。

主に魏呉蜀の三国それぞれについて詳しく書かれた「魏志(魏書)」「呉志(呉書)」「蜀志(蜀書)」の三つに分類されています。

中でも日本との関わりについて書かれている項目が、「魏志(魏書)」の第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条というところに書かれており、それを略して「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」と呼んでいます。

ちなみに・・・

三国志の魏と言えば「曹操(そうそう)」を思い浮かべる方が多いと思いますが、卑弥呼が親魏倭王の称号を貰ったのは曹操の孫にあたる「曹叡(そうえい)」でした。

曹操と卑弥呼が直接対峙することはなかったかもしれませんが、魏志倭人伝の時代には卑弥呼はすでに高齢であったことから、曹操が生きていた時代に卑弥呼も生きていた可能性はありますね。

色々と謎だらけ

日本の歴史書では卑弥呼や邪馬台国に関する情報が残されていないため、謎が多いままです。

ここからはそれらの謎について、言い伝えられている情報をご紹介します。

姿をほぼ見せなかった説

卑弥呼は邪馬台国の女王だったにも関わらず、占いの結果などは弟を通じて人々に知らせていたそうです。

そのため、実際の卑弥呼の姿を見た人はほとんど存在していなかったのだとか。

世話をする女性と数名の男性のみが彼女の側近だったそうで、その伝承も曖昧な部分が多いです。

邪馬台国の位置も不明

邪馬台国の位置については現在の福岡県や大分県、宮崎県などの九州地方だったとする九州説が有力でした。

その根拠は、魏の使者と倭国の使者の両者に残されていた記述にあります。

両国の距離が地図上の直線距離ではなく、実際に歩いた距離で記述されており、その距離が2,000里だったことなどから九州北部から外には出ていないと考えられていたそうです。

また、魏志倭人伝の中に記述されている、邪馬台国の埋葬方法と同じ「甕棺(かめかん)」の遺跡が多数出土したことなどもその根拠となっています。

ただ、近年は証拠不十分ということで、畿内説が有力となっています。

これは卑弥呼が魏国へ遣使を行った証となる数多くの銅鏡が、弥生時代~古墳時代の遺跡から出土しているのが根拠となっているそうです。

その他にも邪馬台国は2つ存在していた説などもあるなど、謎はまだまだ多いですね。

実は卑弥呼の読み方も謎

中国の歴史書にしか出てこないので、「卑弥呼=ひみこ」と発音して呼んでいたかどうかも定かではありません。

歴史書の文字から「ひみこ」という呼称が誕生したので、当時の読み方は違っていたかもしれないのです。

天照大神だったという噂

日本の最高神は、天照大神(あまてらすおおかみ)です。

実は卑弥呼の正体こそが、その天照大神だったのではないかという説もあります。

これは卑弥呼という名前が「日巫女」という太陽に使える巫女としての意味や、「日御子」という太陽神の子としての意味があったためだと考えられています。

確かに言い伝えでしかないのなら、卑弥呼という文字ではなくその他の意味で使われていた言葉とも考えられるはずですね。

日本の文献に登場する人物の中に、卑弥呼に匹敵するほどの存在は天照大神くらいしかいないことなどからも、彼女自身が天照大神だったのではないかという話があります。

まとめ

卑弥呼は学校の授業で、邪馬台国の女王としか習っていない人が多いですよね。

なぜここまで情報が少ないのかというと、それは単純に彼女についての謎が多いためです。

もしかしたら、教科書では習っていない衝撃の事実が、彼女には隠されているのかもしれません。

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