みなさんは「ちまき」と聞いて、どのような食べ物を想像しますか?
実はこのちまき、地域によってお餅だという人とおこわだという人に分かれる事があるんです。
そこでここでは、地域によっては端午の節句で食されるという地域様である「ちまき」について解説します。
目次
西ではお餅で、東はおこわ?
「ちまき」は、もち米やうるち米、米粉などで作ったお餅、もしくはお米を三角形にして笹の葉で包み、い草などで縛った食べ物です。
蒸したり茹でたりして食べられるものですが、茅の葉で包んでいたことから「茅巻き(ちまき)」と呼ばれるようになったとされています。
そんなちまきは、西日本と東日本で趣が異なる食べ物だったりします。
愛知県以西はお餅
愛知県以西だと、ちまきはお餅とされることがおおいです。
それも白くて甘いお団子に近いお餅が入っているものが多いことから、お菓子に近い感覚の食べ物といえます。
長野県・静岡県以東はおこわ
長野県・静岡県以東のちまきは、おこわとなっています。
いわゆる"中華ちまき"と呼ばれるもので、もち米と具材を一緒に蒸したものが多いです。
こちらは、おこわを使ったおにぎりに近い食べ物といえます。
ちまきの起源は中国
ちまきは日本でうまれた料理ではなく、中国から原型となる料理が伝来したものだといわれています。
奈良時代の日本に伝来
端午の節句にちまきを食べるのは、もともと中国で供物を捧げていた行事に由来します。
古代中国・戦国春秋時代の楚国に屈原という著名な人物が国を憂いながら身を投げて亡くなりました。
その死を民衆も悲しんだといい、その命日とされる5月5日に米を竹筒に入れたものを供物として川に流されるようになったとされます。
これが時代を経て葉に包むようになったのが、ちまきの原型とも云われています。
この風習が、奈良時代に端午の節句の風習のひとつとして日本に伝来したことから、西日本では現在でも端午の節句にちまきを食べるという風習が定着したとされています。
伝来した当初のちまきは、もち米を葉で包んだものを灰汁で煮込むことで防腐性を高めた保存食でした。
そして葉の中身が変化していき、その中身がいつしか甘い団子に変わったのだとか。
鹿児島は灰汁巻
鹿児島県を始めとした九州の一部地域では、「ちまき」は白い団子でもおこわでもなく、茶色くて甘い「灰汁巻」というものが主流となっています。
灰汁に漬け込んだもち米を竹の皮などで包み、さらに灰汁で炊いたこの灰汁巻。
伝来してきた当初のちまきの製法に近いことから、ちまきの中身があまり変化することなく伝えられてきたものなのかもしれません。
また、文禄・慶長の役の際、島津家が保存食として考案した食べ物ともされています。
砂糖醤油や黒砂糖、きなこと一緒に食べるものなので、全国的に知られているちまきとはまた別の食べ物と言えます。
東日本と西日本で差がある風習や食べ物
ちまき意外にも、東日本と西日本とで差異がある風習や食べ物が多々あります。
そのうちのいくつかをピックアップしてご紹介します。
恵方巻
恵方巻は、節分の日に恵方(その年の福徳を司る神がいる方角)を向いて無言で巻き寿司を食べるという風習です。
その起源としては諸説ありますが、いずれにせよ大阪や京都など近畿地方が発祥とされています。
平成以前には、東日本ではほとんど知られていない文化でした。
これを小僧寿しチェーンが全国展開、さらにセブン-イレブンが「恵方巻」を売り出したことで、一気に全国的に知られる風習となりました。
ちくわぶの存在
小麦粉をこねたものを茹でて食べるちくわぶ。
東日本ではおでんの定番の具のひとつです。
しかし、西日本ではまず食べられることはなく知名度の低い食べ物となっています。
歌舞伎揚げ?ぼんち揚げ?
醤油味の揚げた煎餅。
東日本では「歌舞伎揚げ」と答える人が多く、西日本では「ぼんち揚げ」と答える人が多意図されています。
これは、それぞれの製造元の違いによるものです。
東京都武蔵村山市に本社を構える製菓会社の株式会社天乃屋が「歌舞伎揚げ」、大阪府大阪市淀川区に本社があるぼんち株式会社が「ぼんち揚げ」とそれぞれの名前で売り出しました。
偶然にも、どちらも販売開始が1960年だったことから、それぞれの拠点の周りから浸透していき、東日本と西日本で違う名前が浸透していきました。
まとめ
西日本ではお餅となる「ちまき」ですが、東日本ではおこわの一種とされます。
そもそも日本発祥の食べ物ではなく、中国で生まれた食べ物なのだとか。
端午の節句に食べるものとして西日本では定着しましたが、東日本では定着しませんでした。
東日本では、端午の節句の食べ物といえば柏餅のほうが一般的となっていますよね。