秋のはじめを指す「桐一葉」、もう一つの隠された意味が深い!

秋の始まりを指す「桐一葉」は、俳句や短歌などでも季語として扱われ、日本独特の風情ある言葉といえます。
しかし、この言葉には実はもう1つの意味が隠されているのです。

そこで、ここでは「桐一葉」が持っている意味はもちろん、あまり知られていないもう1つの意味についても見ていきましょう。
秋の始まりを告げるという情緒ある言葉の陰には、ちょっと唸るような意味が隠れているようですよ!

「桐一葉」とは

 

まずは「桐一葉」という言葉がどのような意味があるのか見ていきましょう。

「桐一葉」の意味

「桐一葉」とは、桐の葉が落ちるのを見て秋を知る様子をあらわした言葉です。
木の葉っぱが落ちて秋の到来を悟るというのは、何とも情緒に溢れた表現ですよね。

その美しい響きから、俳句や短歌などで季語として用いられています。

「桐一葉」の解説

「桐一葉」の「桐」は、植物の桐の木を指しています。
桐という言葉だけなら青桐を表すのが一般的とされています。

そんな桐は、他の木に比べて早く葉が落ちるのが特徴です。
このように、桐が他の植物よりも一足早く葉が落ちる様子から、「桐一葉」は秋の訪れを感じることができることをさすようになったのです。

季語としての「桐一葉」

「桐一葉」は初秋の季語としても使われています。
秋の訪れを先んじて知らせる、桐の葉の落ちる様子は確かに、初秋の季語にピッタリですね。

「桐一葉」のもう一つの意味

 

秋の始まりを感じることを意味する「桐一葉」。
しかし、中国では日本とは違った意味合いで使われることがあるのだとか。

衰退の兆しの例えでもある

「桐一葉」は、衰退の兆しを例えて言う場合にも用いられます。
暑い夏が過ぎ涼しくなっていき、次第に冬が近づく秋のはじめ様子を廃れていくことに例えたのです。

これは日本ではあまり馴染みのない意味となっています。

「桐一葉」の起源は中国から

中国には「梧桐一葉落天下盡知秋」すなわち「アオギリの一葉が落ちて天下の秋を知らせる」ということわざがあります。
「桐一葉」は、このことわざを縮めたものともされています。

中国のことわざに出てくる「天下の秋」は単に季節の秋を指しているのではありません。
興隆した国家の秋、つまり国家の衰亡期を象徴しているのです。

つまり、国家の衰亡の予兆を「アオギリ一枚の落葉」によって言い表しているのです。
言い回しが、日本では秋の情緒を感じる言葉として引用されるようになりました。

文学作品としての「桐一葉」

 

「桐一葉」を熟語ではなく、歌舞伎の作品として目や耳にしたことがある人もいると思います。

坪内逍遙の描いた歌舞伎作品

「桐一葉」は明治時代の文豪、「坪内逍遥」が描いた歌舞伎作品の1つです。
関ヶ原の戦いの後、徳川家からの難題を切り抜けようと苦慮する片桐且元、と猜疑心が強くヒステリックな淀の方を中心に、崩壊していく豊臣家の運命を描いた境遇悲劇となっています。

歌舞伎とシェークスピア劇の融合を試みた野心作で、個性的な人間を描き出したことで後世の新歌舞伎に道を開いた作品とも言われています。

タイトルはダブルミーニング

「桐一葉」というタイトルには、2つの意味が込められています。
この作品では豊臣家の衰退と滅亡への運命を描いており、それが「桐一葉」という言葉によって表現されています。

そして、桐は豊臣家の家紋「五七桐」に用いられている、いわば豊臣家を象徴でもあります。
ただ単に、一度栄えた一族の衰退劇というだけではなく、ダブルミーニングとなっているのです。

まとめ

「桐一葉」は、秋のはじまりを知らせる季語で美しさすらも感じます。
ところが、その裏で国家の衰退の兆しという意味合いで用いられることもあります。

どちらも秋の寂しげな雰囲気から生まれた意味合いとなっているようです。

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