
難読漢字と呼ばれるものが多々存在していますが、「蘆薈」という漢字が何の名前の事か皆さん分かりますか?
いくら眺めても読めそうもありませんし、書くのも難しいこの漢字、実はみなさんも一度は見たり聞いたり、人によっては食べたこのもある植物のことなんですよ!
目次
「蘆薈」は何て読む?

蘆薈という漢字は、日常生活で目にすることはほとんどありません。
しかし、この蘆薈の読み自体は普段から耳にしている人も多いと思います。
果たして何と読むのかというと・・・
読みはアロエです!
蘆薈の読みはアロエです!
日本ではキダチアロエという種類が広く普及しており、アロエと言えばこのキダチアロエのことを指すことが多いそうです。
そんなアロエは「医者いらず」とも呼ばれ、古くから人々の健やかな生活を守ってきた植物でもあります。
漢字の由来は・・・
でも、なぜ「アロエ」が蘆薈と表記されるのでしょうか?
これは、アラビア語での発音「ロエ」から来たとされています。
「蘆(ろ)」は植物のアシを指します。
そして「薈(え)」は、草木が茂る様子や草むらが広がる様子などを意味しています。
ちなみにアシとはイネ科の多年草で、薬用にされることが多いのだとか。
ロエという発音を音写した際に、「蘆」と「薈」を当てはめて蘆薈となったとされます。
それにしても難しすぎて一見では読めそうもないですし、練習しないと書けそうにもありません・・・。
「蘆薈」の歴史は古い?!

アロエという植物を活用した歴史はとても古くからあります。
ここからは人々の健やかな生活に活用されてきたアロエについて、その歴史をご紹介します!
伝来したのはまさかの!
アロエが日本に伝来したのは、鎌倉時代もしくは室町時代初期とされています。
日本では現在、キダチアロエが食品や化粧品などの原料として活用されています。
しかし、当時中国から伝来したとされるアロエはケープアロエと考えられており、当時は漢方薬として入ってきました。
ちなみに、このケープアロエという種は南アフリカのケープ地方で栽培されており、現在でもて現地では医薬品の原料とし重宝されています。
日本ではケープアロエは医薬品として認められていないため、食品や化粧品への使用が主となっています。
薬用とされた歴史は長い
日本ではなく、世界に目を向けてみると、さらにアロエの歴史は非常に長いものとなります。
数千年以上前から薬草として重宝されていたそうです。
原産地はアフリカとされ、紀元前4世紀頃にアレキサンダー大王が東アフリカのソコトラ島でアロエの栽培に力を入れていたという話があります。
また、それよりも昔の紀元前1550年頃に編集されたとされるエジプトの医学書「エーベルス・パピルス」にもアロエは登場しており、アロエを使った数々の処方が記されているそうです。
つまり、現代から約3500年前には人類はアロエを用いていたということですね。
他にもある難読な植物

蘆薈の他にも、日本にはいくつもの難読漢字が用いられた植物が存在します。
ぜひ、チャレンジの意味も含めて併せて確認してみましょう!
百日紅
百日紅は「サルスベリ」と読みます。
長く咲くところから名付けられたという説や、樹皮がつるつるしていて猿でも滑って落ちてしまうところから名付けられたという説などがあります。
百日紅と書いて「サルスベリ」なんて普通は読めませんよね!(笑)
酸漿
「酸漿」は「ホオズキ」と読みます。
赤くふっくらした実が人間のほっぺに似ているところから名付けられたという説が有力です。
その他にも、実を口で膨らませて鳴らす遊び「頬突き」から来たという説。
実が火のように赤いところから来た「火火(ほほ)+染まる(つき)」とした説などがあります。
酸漿に関しても、読めないし書けない漢字表記となっていますね。
糸瓜
「糸瓜」の読みは「ヘチマ」です。
この植物は中国を経由して伝来したもので、実の部分から繊維を取ることができることから中国語で「絲瓜」と名付けられました。
最初は日本語でも「イトウリ」と呼ばれていましたが、江戸時代になると「トウリ」と呼び方が変化しました。
それがいろは歌によって現在の呼び名となったとされています。
いろは歌の一説「いろはにほへとちりぬるを」を見ると「トウリ」の「ト」は「ヘ」と「チ」の間にありますよね。
そこから「ヘチマ」と呼ばれるようになったそうです。
ダジャレで名前が変化してしまった結果、読み方と漢字が一致しなくなってしまったようです。
まとめ
蘆薈は、難読漢字の1つで「アロエ」と読みます。
このアロエは歴史がとても古く、3500年前に書き上げられたという医学書にも登場します。
古の時代から、人々の生活に活用されてきたとても身近な存在だったという事ですね。
日本にも意外と古くに伝わっており、鎌倉時代から室町時代にかけて伝来したとされています。