「天王山」、急峻では無いこの山が勝負の分かれ目を意味するのは、歴史上大事な舞台だったから!

天王山は、勝負の分かれ目を意味する言葉として用いられれます。
例えば「天下分け目の天王山」という表現をされます。
この天王山、じつざいするやまのことで、京都府乙訓郡大山崎町にあります。

その意味からして、急峻なイメージがありますが、実際はそうでもないそうです。
ではなぜ、天王山が勝負の分かれ目を指すようになったのでしょうか。

それは、大河ドラマをはじめとした時代劇でも度々登場する大事件の舞台だったからです。

「天王山」という山

成句としても用いられる天王山は、実在する山です。
まず、この天王山がどこにある山なのか、そして勝負に関する例えとなった歴史的大事件についてご紹介します。

標高270mしかない

天王山は、京都市の何税部、乙訓郡大山崎町にある山です。
標高270mほどしかない、いってしまえばどこにでもあるような小山です。

日本語では天王山という言葉を用いて勝負の分かれ目を表現したりしますが、実際には急峻でもなんでもなく緩やかな山だったりします。

この天王山は現在、ハイキングなどで人気だそうです。
のんびりと登山やトレッキングができることからも想像できるように、実際には天下分け目の戦などとは無縁のように思えます。

成句となるきっかけは明智光秀と羽柴秀吉の戦いから!

ではなぜ、天王山が成句として使われるようになったのか。
それは、戦国時代の明智光秀と羽柴秀吉の戦いが背景にあります。

それは1582年6月のこと、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀とその仇討ちを果たそうとする羽柴秀吉が激突した戦がありました。
それが歴史の教科書でも習う山崎の戦いです。

この戦は、後に書かれた軍記物では、「天王山を制した方が天下を取る」と書かれるようになり、天王山をいかに占拠するかが勝負の決め手だと認識されるようになりました。
そして、この戦に勝利した羽柴秀吉は、織田信長の敵討ちを見事成し遂げ、織田信長の後継者争いに一歩リードすることになります。

このことから、「天王山の戦い」とも呼ばれる山崎の戦いにおける、最重要な場所とされた天王山が、勝負の分かれ目をあらわすようになりました。
そして、「天下分け目の天王山」といった言葉を生むきっかけとなったのです。

ちなみに、天王山を重要視したのは創作、つまりフィクションと考えられています。
一次資料などを見ると、実際に主戦場となったのは、天王山ではなくその麓だったとされています。

成句としての「天王山」

ここからは、成句としての「天王山」の意味や類義語を見ていきましょう!

天王山の意味

言葉としての天王山は、勝負や運命の重大な分かれ目をあらわします。
勝負の分かれ目や、運命の分かれ目といった、重大な物事において決着がつく際「雌雄を決する」という意味で使われます。

現代では基本的にビジネスやスポーツなど、重要な山場や局面で使用される言葉となっています。

天王山の類義語

天王山と同じように、進退を決する勝負や試合をすることを指す言葉は他にもありますのでご紹介します。

乾坤一擲

乾坤一擲とは、天に運を任せてのるかそるかの大勝負をすることです。
「乾坤」は天地を、「一擲」とはサイコロを一度だけ投げることを意味しています。

この言葉は、「韓愈(かんゆ)」という人物が、前漢の創始者「劉邦」が天下を取るか敗れてすべてを失うかの大勝負に出たことを描写した際の言葉となっています。

大一番

大一番とは、勝ち負けを左右するような大事な試合のことを指します。

こと相撲などでは進退をかけた取組を意味することが多いですね。
そこから、自分の人生がかかっている場面に際して使うことの多い言葉となっています。

天下分け目の戦

天下分け目の戦とは、今後の命運が決まる大切な戦いを意味します。
特に戦国時代で最も大きな戦いだったとされる関ケ原の戦いを指しています。

これは関ヶ原の戦いに勝利したことが、後に徳川家康が天下を獲るターニングポイントとなったことにちなんでいます。
別の言い方では「天下分け目の関ヶ原」とも表現されます。

将棋用語としての天王山

天王山は日常会話だけでなく、将棋用語としても使用されます。

盤面上の天王山

将棋に用いられる盤面上にも、天王山と呼ばれる場所があります。

昔の将棋では、将棋盤の中央に当たる「5五」を取ることが重要でした。
そのため、盤面上の中央を天王山と呼び、「5五の位は天王山」といった表現もしていました。

中央の「歩」を進めて「5五」を取ることが、将棋においては勝敗を決定するほど大切だったということですね。

囲碁の場合は名前が変わる

将棋と似たような競技に囲碁がありますが、この囲碁においては盤面の中央は「天元」と呼ばれます。
この「天元」という言葉を考え付いたのは、江戸時代の囲碁の達人、2代目安井算哲(渋川春海)という人物です。

天文学者でもあったこの人物は、一手目を盤の中央に配置できれば必勝である!と考えていたという記録が残っています。
その際、盤面の中央の事を「天元」と称したのが始まりと言われています。

ちなみに、この最初に天元に石を置くことにかなり自信を持っていたらしく、ある勝負において「一手目に天元に置いておいて負けたら二度とこの手は打たない!」と公言したことがあるそうです。
しかし、結果は敗北、2代目安井算哲は二度と自慢の手を打たなくなったそうです。

まとめ

天王山は、重要な勝負所を指して使われます。
これは、織田信長を討った明智光秀と敵討ちを狙う羽柴秀吉の戦い、山崎の戦の舞台とされたことから来ています。
そこから天下分け目の戦など、重要な場面で天王山という言葉が用いられるようになりました。

同様の意味の言葉としては、「大一番」や「乾坤一擲」があげられます。

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