座右の銘にもされる「人間万事塞翁が馬」。この言葉の意味は?その由来とされる物語とは!?

「人間万事塞翁が馬」は、人生の幸不幸は予測できないものだという意味のことわざです。
座右の銘とされることも多いですが、その際には異なるニュアンスで用いられます。

ここでは、この「人間万事塞翁が馬」の意味や由来となった故事について解説します。

「人間万事塞翁が馬」とは

 

まずは、「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」の意味について見ていきましょう。

「人間万事塞翁が馬」の意味

「人間万事塞翁が馬」は、中国の故事が由来となっていることわざで、人生は予測できないものだということの例えとなります。

「人間」は「じんかん」と読み、中国語で世間を、「万事」はあらゆることを指します。
そして、「塞翁が馬」は塞(とりで)の中に住む翁(老人)の馬をあらわしています。

この「塞翁が馬」は、故事に由来するので、単独で見るとよく意味が分からない語となっています。

座右の銘としての「人間万事塞翁が馬」

「人間万事塞翁が馬」は、座右の銘としてもよく用いられますが、人生は予測できないものという意味だとすると少しネガティブな気がしますよね。
ですが、この言葉はいくらでも解釈ができるため、座右の銘としてならポジティブな言葉として考えられます。

その際は、「世間に起きる良いことも悪いことも予期できないから、いちいち振り回されてはいけない」、「たとえ今幸せだからといって油断してはいけない」、「悪いことが続いても今度は良い事があるかもしれないから落ち込む必要はない」といった意味合いとして解釈されます。

「人間万事塞翁が馬」の由来

 

「人間万事塞翁が馬」の由来となった故事は、「淮南子(えなんじ)」という前漢の時代にまとめられた思想書です。
このなかの第十八篇「人間訓」という部分に、「人間万事塞翁が馬」のもとになった物語が綴られています。

由来となった逸話

この物語の主人公は、中国の北方の塞(とりで)の近くに住んでいた、「とある老人」です。

その老人は一匹の馬を飼っていましたが、ある時、逃げてしまうという不幸がありました。
しかし、しばらくするとその馬が別の優れた馬を連れて帰ってくるという幸福が訪れました。

その後、その優れた馬に乗った老人の息子が落馬して足を折ってしまいました
しかし、その不幸によって息子は兵役を逃れられたのです。

「人間万事塞翁が馬」がことわざとなった理由

老人は、一度逃げた一匹の馬から、不幸と幸運が折り重なるようにやってきてしまいました。
馬が逃げたのは不幸ですが、馬を連れて来たというのは幸運です。
しかし、その馬によって息子が大けがをするという点は不幸です。
ところが、この不幸があったおかげで兵役が免除するというありがたい面がありました

どのようにして幸運な出来事や不幸なことが起きるかは、この故事ひとつ見てもわからないものです。
また、物事は一点から見ただけでは、いいことなのか悪い事なのか分かりません。

この故事が非常に深いものだったことから、「人間万事塞翁が馬」は座右の銘にもされることわざとなりました。

「人間万事塞翁が馬」の類義語

 

「人間万事塞翁が馬」には、類似した言葉があります。
類義語としては「禍福は糾える縄の如し」「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」「雨降って地固まる」などが挙げられます。

禍福は糾える縄の如し

「禍福は糾える縄の如し」は、良いことと悪いことは交互に起こる、ということをあらわす言葉です。

不幸に泣いていたかと思えばよいことが起き、幸せにひたっていたら災禍に襲われる。
この災いと幸福をそれぞれ紐に見立て、複雑にからみあうことに縄になる、という表現となっています。

沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり

「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」は、人生を川の瀬の浮き沈みに見立てたことわざです。
不運があって沈んでも、浮かび上がることもある。不運がずっと続くことは無いという意味です。

人を励ます際にも用いることができる言葉です。

雨降って地固まる

「雨降って地固まる」は、雨が降るようなもめごとなどの悪いことが起こった後は、かえって基盤がしっかりしてよい状態になることを言い表しています。
喧嘩をした結果、わだかまりが解消され、より仲が良くなったり絆が深まるといった人間関係に用いることもあります。

まとめ

 

「人間万事塞翁が馬」は、人生の幸不幸は予測できないという意味のことわざです。
「淮南子(えなんじ)」という中国の哲学書に記された言葉で、「禍福は糾える縄の如し」「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」「雨降って地固まる」といった類語があります。

「良いことも悪いことも予期できないから、その出来事に振り回されてはいけない」、「悪いことが続いても今度は良い事があるかもしれないから落ち込む必要はない」といった意味合いで捉えると、座右の銘にもぴったりの言葉ですね。

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