【エコ贔屓】「依怙贔屓」の「依怙」とはどんな意味?「贔屓」には「貝」がたくさん含まれているけど何か意味がある?

「依怙贔屓」とは、気に入った人や物だけを特別扱いすることです。
また、それによって不公平に扱うことも指しています。

ところで、この「依怙」や「贔屓」はそれぞれ何をあらわすのでしょうか?
そこでここでは、「依怙贔屓」という言葉について意味や成り立ち、類義語や対義語についてご紹介します。

「依怙贔屓」とは

まずは「依怙贔屓」という言葉について見ていきましょう。

「依怙贔屓」の意味

「依怙贔屓」は、自分の気に入った人や物だけに味方して不公平に扱うことです。
好きな人を優遇して、嫌いな人を冷遇するような様子も指します。
また、自分の利益のため一方的に肩を持つこともあらわします。

いずれの意味でも、なにかしらの下心を持って接することの表現として使用されます。。

「依怙」はもともと頼ることや頼むことを指していた言葉です。
「贔屓」も本来は大いに力を入れることを指していた言葉です。
つまり、両者はあまり悪い意味では用いられていませんでした。
それが、近年では良い意味では使われなくなってきたわけです。

転じて「依怙」も「贔屓」も気に入った者に力添えするという意味になっていきました。
それらを重ねて「依怙贔屓」と表現するようになったのだとか。

「贔屓」との違い

「依怙贔屓」は、一方だけに心を寄せて不公平に扱うことです。
それ対して、「贔屓」の場合は、気に入った人や物に肩入れして後援することを指します。

「依怙贔屓」には、本来中立である人による特別扱いという、不公平というニュアンスが含まれています。
その一方で「贔屓」には不公平というニュアンスはあまりありません。
中立である必要も無いので、熱心に応援している個人や団体があること特にスポーツに対して用いられることが多いです。

「依怙贔屓」の由来

ここからは「依怙贔屓」の成り立ちについて見ていきましょう。

「依怙」とは何のこと?

「依怙」とは、公平でないこと、不公平なことを指します。
片方を優遇することで、もう一方を冷遇する際に使われる表現です。
また、自分だけの利益、つまり私利をあらわすこともあります。

もともとは、頼ることや頼むことを指していた言葉とされています。

「贔屓」の由来

「贔屓」は、古代中国の想像上の生き物「贔屓」から来たとされています。
「贔屓」は、竜生九子と呼ばれる竜が生んだ子のひとつで、亀に似た生き物とされます。

この「贔屓」は重いものを背負うのを好むとされたことから、古くは柱や石碑の土台などの装飾として施されてきました。
この重いものを背負う「贔屓」から、盛んに力を使う事や鼻息を荒くして働く様子をあらわす言葉として用いられるようになり、それが更に目にかける・肩入れするの意味合いに転じたともされています。

「依怙贔屓」の類義語

ここからは「依怙贔屓」の類義語について見ていきましょう。

判官贔屓

「判官贔屓」とは立場の弱い側へ肩入れしてすることをあらわしています。
同情や憐憫の気持ちによって弱い方に力添えすることを指します。

この言葉は、源平合戦で活躍した源義経から来ています。
源義経は、平家討伐において大きな貢献をしましたが、兄である源頼朝から反感を買っており、最終的には衣川の戦いで命を落とします。

その末路から、多くの人が同情を重ねてきたことため生まれた言葉となっています。
ちなみに「判官」は、判官贔屓では「ほうがん」と読みますが、通常は「はんがん」と読み、源義経が左衛門府の三等官であったことと検非違使の少尉に任じられていたことから来ています。

「依怙贔屓」の対義語

ここからは、「依怙贔屓」の対義語について見ていきましょう。
対義語としては、「公明正大」や「一視同仁」があげられます。

公明正大

「公明正大」とは、私心が微塵もないことをあらわします。
「公明」が公正で隠し立てをしないことを、「正大」は偏らずに正しく堂々としていることをあらわしています。

誰かに対して、肩入れもしない完全中立な様子をあらわす際に用いられる事もあります。

一視同仁

「一視同仁」とは、誰も差別せずすべての人を平等に愛することをあらわす言葉です。
私利私欲のために相手によって扱いを変えることなく、すべてを等しく愛する心持ちとなります。

まとめ

「依怙贔屓」は自分が気に入った人や物を優遇して、それ以外のものは冷遇することをあらわす言葉です。
つまり、特別扱いをすることで他の人からしたら不公平に扱うことを指します。

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