「蝶よ花よ」とはどんな状況で使う言葉?派生した日常の言葉があるってホント?

子供や孫を溺愛している様子をあらわす「蝶よ花よ」。
この言葉は、男の子よりも女の子を大事にしている様子に対して使用さます。

そして、この「蝶よ花よ」からある言葉が生まれました。

ここでは、この「蝶よ花よ」という言葉の意味や成り立ちについても見ていきましょう。

「蝶よ花よ」とは

 

まずは「蝶よ花よ」がどのような言葉なのかを見ていきましょう。

「蝶よ花よ」の意味

「蝶よ花よ」は、子供や孫をとてもかわいがっていることを例える言葉です。
溺愛して大切に育てる様子を指す言葉となります。

対象とされるのはどんな人?

「蝶よ花よ」と大切にされるのは、多くの場合女の子が対象となります。
「蝶よ花よと育てた娘」といった用い方をします。

ただし、近年は男女で区別しない風潮が強くなっています。
そのため、どちらに使用しても問題ないとされることが多くなってきています。

なお、この「蝶よ花よ」は、両親や祖父母が子供や赤ちゃんを慈しむ、大切に育ててきた姿や心情について用います。

そのため「蝶よ花よ」とされてきた対象自体は子供や孫であるものの、表現としては両親や祖父母の行動に対する表現となります。

もちろん「蝶よ花よと育てられてきた」という受動態の形式なら、用いられているのは親などではなく育てられた側となります。

「蝶よ花よ」の由来

 

ここからは、「蝶よ花よ」の成り立ちについて見ていきましょう。

由来は和歌から

「蝶よ花よ」の原形は、「花や蝶や」とされます。
これは、は平安時代に詠まれたある和歌から来ています。

その和歌を詠んだのは、平安貴族として藤原氏の最盛期を築いた藤原道長の姪で一条天皇の后の「定子」です。
そして、由来となった和歌は以下のものです。

「みな人の 花や蝶やと いそぐ日も わが心をば 君ぞ知りける」

この和歌は「世間の人がみんな花や蝶やといそいそと美しいものに浮かれる日も、あなただけは私の本当の気持ちを知ってくれているのですね」という意味が込められています。
意訳すると「落ちぶれた自分を捨ててみんなが今をときめく人に走り寄る日も、あなただけは私の心の底を誰よりも知っているのですね」といった解釈がされます。

もともと定子は、一条天皇の妃としての幸福な生活を送っていました。
しかし、激しい政権争いによって悲運の皇后としての暗く寂しい境遇に陥ってしまいます。

この際、定子の女房(女官)であった清少納言が慰めの和歌を詠んだのですが、中宮定子はその返歌としてこの和歌を詠んだとされています。

この和歌を詠んだ「定子」とはどんな人物?

定子は、一条天皇の皇后に当たる人物を指します。
関白まで上り詰めた藤原道隆の娘です。

永祚元(990)年に一条天皇の中宮として迎え入れられました。
しかし、父・道隆が亡くなると兄の藤原伊周と叔父である藤原道長の間で権力争いが勃発。
その結果、藤原道長が勝利を得たのですが、これは定子にとって悲劇を呼ぶことになりました。

長徳2(996)年、弟の藤原隆家が花山法皇を襲撃するという事件を起こしたことを藤原道長に利用され、弟の隆家と兄の伊周が左遷させられてしまい、中央政権での力を失ってしまったのです。
こうして、後ろ盾を無くした定子は、この時期に住まいであった二条宮を焼失する他、母親も亡くしています。

しかし、一条天皇からの寵愛を完全に失った訳ではなく翌年には、第一子・脩子内親王を出産、長保元(999)年には一条天皇の第一皇子・敦康親王と続けての出産をしています。
ところが、その翌年の長保2(1000)年に第二皇女・媄子内親王を出産した際になくなってしまいました。

「蝶よ花よ」から派生した「ちやほや」

 

定子の和歌から生まれた「蝶よ花よ」。
この言葉から派生して「ちやほや」という言葉が生まれました。

「ちやほや」とは

「ちやほや」とは、相手の機嫌をとることを意味する言葉です。
特に周囲があれこれと甘やかす様子を指す言葉で、口に出してとにかく褒めることなども意味する言葉となっています。

機嫌をとったり甘やかしたりするだけではなく、それに付随して「大切にする」という意味合いが含まれます。

江戸時代に生まれた「ちやほや」という表現

平安時代に読まれた和歌に含まれた「花や蝶や」は、その後は日常語として用いられるようになりました。
そして江戸時代になると、「蝶や花や」という蝶と花が入れ替わった表現になったとされています。
更に、それが略される形で「ちやほや」という言葉で広まっていきました。

まとめ

「蝶よ花よ」は、子供や孫をとてもかわいがることを例える表現です。
特に男の子よりも女の子が対象となる言葉とされてきました。
ただし、この言葉自体は子供や孫を溺愛する両親や祖父母の対応について言ったものとなります。

その由来は、平安時代に栄華を極めた藤原一族のひとり定子が詠んだ和歌の一節にあります。
そこから派生して、「ちやほや」という言葉も生まれました。

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