「岡惚れ」とはどんな感情を意味するの?「岡惚れ三年、本惚れ三月、思い遂げたは三分間」や「相惚れ自惚れ片惚れ岡惚れ」とはいったい何?

「岡惚れ」とは、特定の相手がいる人を好きになることです。
また、まったく面識のない人に好意を寄せることを指すこともあります。

では、なぜこれらの状況を「岡惚れ」と表現するのでしょうか。
ここでは、この「岡惚れ」という言葉についてその意味や成り立ちを見ていきましょう。

また、岡惚れに関連して「岡惚れ三年、本惚れ三月、思い遂げたは三分間」や「相惚れ自惚れ片惚れ岡惚れ」という言葉についても解説します。

「岡惚れ」とは

 

まずは「岡惚れ」がどのような言葉なのかを見ていきましょう。

「岡惚れ」の意味する感情

「岡惚れ」は、親しく接したことのない人や交流のない人を脇から密かに恋することを言います。
他人のパートナーなどに対して、ひっそり恋することもふくまれます。
自分だけが、密かに恋心を寄せている様子を指す言葉です。

ちなみに、岡惚れの「岡」とはかたわらを意味します。
つまり、よく知らない異性のことを傍らから見ただけで恋に落ちてしまった状況ということですね。

この表現は、江戸時代に恋に落ちやすい人などを指す言葉として定着していたそうです。

「一目惚れ」との違い

「一目惚れ」は、一目見ただけで惚れてしまうことを言います。
一目見た瞬間に特定の相手に恋してしまう心情を指します。

ここまでなら岡惚れと同じなのですが、一目惚れの場合相手にアピールしたり好意を伝えることも十分ありえます。
周囲の人に恋に落ちたことを話すことだってあります。

岡惚れは、ひっそりと自分の胸の内だけに秘めるものなので、恋に落ちた後のリアクションに大きな違いがあります。

「岡惚れ三年、本惚れ三月、思い遂げたは三分間」とは

 

ここからは「岡惚れ」という言葉を含む「岡惚れ三年、本惚れ三月、思い遂げたは三分間」という言葉について見ていきます。

「都々逸(どどいつ)」という定型詩から

「岡惚れ三年、本惚れ三月、思い遂げたは三分間」は、日本に古くから伝わる作者不明の詩です。
七・七・七・五調の定型詩で、江戸時代にまとめられた「都々逸」という俗謡のひとつです。

「岡惚れ三年、本惚れ三月、思い遂げたは三分間」の意味

「岡惚れ三年、本惚れ三月、思い遂げたは三分間」とは、「人はよく知らない人に恋をする時間が長い一方で実際に添い遂げる時間は短い」ということを言った表現です。
つまり、この歌は浮足立った恋心の核心を突いた作品なのです。

「相惚れ自惚れ片惚れ岡惚れ」とは

 

ここからは「岡惚れ」を含むもう1つの表現「相惚れ自惚れ片惚れ岡惚れ」についても見ていきましょう。

「相惚れ自惚れ片惚れ岡惚れ」の意味

「相惚れ自惚れ片惚れ岡惚れ」とは、人が惚れる状況は人それぞれであることをまとめた言葉です。
この表現によると、惚れ方には大きく4種類あることがわかります。

「相惚れ」は、双方が愛し合っていることです。
「自惚れ」は、自分を良しとして勝手に異性を好きになることです。
「片惚れ」は、片方が愛していることとなります。
「岡惚れ」は、相手の気持ちがわからないのに好きになることです。

つまり、惚れ方1つ取っても十人十色ということですね。

類義語は「蓼食う虫も好き好き」

「蓼食う虫も好き好き」とは、人の好みはさまざまであることを指した表現です。

ここで言う「蓼」とは、柳蓼という辛く、独特の匂いのある植物のことです。
そんな辛味のあるものでも好んで食べる虫がいるように、人の好みはそれぞれで、一概にまとめることができないということを意味しています。

まとめ

「岡惚れ」とは、かたわらから見ただけで人を好きになることを指します。
その人の実際はよく知らないけれど恋に落ちてしまう、そんな状態です。
その対象は、特に限られておらず、時に他人のパートナーに好意を寄せることなども指します。

一目惚れに親しい言葉ですが、誰に打ち明けるわけでもなくひっそりと自分の胸に秘めた恋となっています。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事