相手のなすがままになっていることを「まな板の上の鯉」することがあります。
これは、すでに手詰まりとなっているので、何もできないことを指ます。
ここでは「まな板の上の鯉」という言葉についてその意味やなぜ鯉なのかという由来、その類義語について見ていきましょう。
目次
「まな板の上の鯉」とは
まずは「まな板の上の鯉」という言葉について見ていきましょう。
「まな板の上の鯉」の意味
「まな板の上の鯉」とは、相手のなすがままになっている状況をあらわす言葉です。
また、そうするしか仕方がない状態に陥っていることを言います。
自分ではどうすることもできない、相手に生殺与奪の権を握られている状態の例えとされます。
「俎上の鯉」「俎板の鯉」とも表現する
「まな板の上の鯉」は「俎上の鯉」「俎板の鯉」とも表現されることがあります。
この「俎上」「俎板」とはまな板の上もしくはまな板自体のことです。
つまり、両者は「まな板の上の鯉」を難しくした言い回しということになります。
「まな板の上の鯉」の由来
では「まな板の上の鯉」とは、どのような成り立ちから生まれたのか、その由来を見ていきましょう。
鯉は暴れるものじゃないの?
調理される鯉は、水から揚げられたら当然勢いよく跳ね回ります。
締めるまでは、暴れまわり手を焼かされます。
しかし、プロの調理人の手にかかると、観念したかのように大人しくなるとされるとされることから生まれた言葉とされます。
由来は鯉の調理法からとも
実際に鯉を調理するためにまな板に乗せた場合、暴れ回って仕方ありません。
しかし、鯉の横腹にある側線とよばれる器官を包丁で撫でると動きが鈍るとされています。
この側線という器官は、水の流れや水圧を感じるための器官とされます。
この特徴を承知している調理人の手にかかると、抵抗をやめたように見えることから来ているとされます。
「まな板の上の鯉」の類義語
最後に「まな板の上の鯉」の類義語に相当する言葉について見ていきましょう。
類義語には「万事休す」や「鼎俎を免れず」があげられます。
万事休す
「万事休す」とは、手の施しようがないことを意味します。
対策の講じようもなく、諦めるしかない状況のことを指しています。
万策尽きてしまい、どうしようもない状態にある、ということになります。
鼎俎を免れず
「鼎俎を免れず」とは、死を避けられない状況を指す言葉です。
「鼎」とは、3本足の鉄の鍋や釜といった調理器具のこと、「俎」は前述の通り、まな板のことです。
後は調理されるだけもう後はない、ということになります。
まとめ
「まな板の上の鯉」とは、自分ではどうすることもできない状態なので、諦めている状況に用いられる言葉です。
まな板の上に置かれ、後は調理されるのを待つだけという鯉の状態から生まれた表現とされています。
その類義語としては、「万事休す」や「鼎俎を免れず」があげられます。