ことわざ「隣の芝生は青い」とはどんな意味?その由来や対義語は?

自分のものよりも他人のものの方が良く見えることを「隣の芝生は青い」と表現することがあります。
これらは英語から来たことわざとされています。
ここでは、この「隣の芝生は青い」ということわざについて、その意味や由来、その対義語について見ていきましょう。

「隣の芝生は青い」とは

まずは「隣の芝生は青い」という言葉について、その意味や表現について見ていきましょう。

「隣の芝生は青い」の意味

「隣の芝生は青い」とは、自分のものより他人のものの方が良く見える心理を例えた言葉です。
似たような環境であっても、自分と比べれば相手の方が良く見えてしまうもの、という言葉となります。

同じものを持っていても、自分と他人が手にしたものの場合、他人のもののほうが優れていたりいいものなのでは?と考えてしまうことや、自分の持っているものの良さには気が付かない状況を指して用いられます。

この時対象となるのは、自分と対等だと考えている存在であって、格上だと思っている対象を羨むことには用いられません。

「隣の芝生は青く見える」とも表現される

一般的には「隣の芝生は青い」と表現されますが、「隣の芝生は青く見える」と表現されることもあります。
両者は若干言い回しが異なるだけで、同じ意味の言葉になります。

類義語としては、「隣の花は赤い」「隣の糂粏味噌」という言葉がありますが、同じような意味合いで用いられます。
いずれも自分と近しい人とを比べてしまう心理描写を例えた表現となります。

「隣の芝生は青い」の由来

ここからは「隣の芝生は青い」の由来について見ていきましょう。

由来は英語のことわざから

「隣の芝生は青い」は。英語のことわざから来ています。
そのことわざとは「The grass is always greener on the other side of the fence」というものです。

これを日本語に訳すと「塀の向こうの芝生はいつも青々としている」という意味になります。
芝生は、横から見ると枯れた芝生が目立たずに青々として見えるのだとか。
そのため、正面から見る自分の家の芝生よりキレイに見えてしまいます。

その光景から「隣の芝生は青い」という言葉の由来になる言葉は生まれたとされます。

「隣の芝生は青い」の対義語

最後に「隣の芝生は青い」の対義語について見てみましょう。
「隣の芝生は青い」の対義語には「吾が仏尊し」や「隣の白飯より内の粟飯」などがあります。

吾が仏尊し

「吾が仏尊し」とは、自分の信じるものだけが尊いという例えです。

自分が良いと思ったものが、他のどのようなものよりも良いということを言った表現となります。
一見すると自分の道を信じるというようなポジティブなニュアンスがあるように見えます。

しかし、実際は他を顧みない偏狭な心のことを言う表現です。
そのため、心にゆとりがないなどネガティブな例えとして使用されます。

隣の白飯より内の粟飯

「隣の白飯より内の粟飯」とは、他人の世話になるのは気を遣う、結局我が家が一番よいということを例えたものです。

相手からの恩はありがたいものの、むしろ気苦労の方が多くなってしまうことを言った表現となります。
隣で白米をご馳走になるよりも、粗末な粟飯であっても自分の家で食べた方が気楽だという意味合いがあります。

まとめ

「隣の芝生は青い」は、自分と比べて他人の方が良く見えてしまうことを言ったことわざです。
同じような環境であっても、比較することで相手の方が良く見えてしまうという例えとなります。

英語のことわざ「The grass is always greener on the other side of the fence」を意訳した言葉から来ています。

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