「春秋に富む」とはどんな意味?その対義語となる表現は?

「春秋に富む」という言葉は、年齢が若くて将来が長いことをあらわしています。
将来有望な若者などに対して用います。

しかし、それがなぜ「春秋に富む」となるのでしょうか。

ここでは、この「春秋に富む」という言葉の意味や由来、対義語について見ていきましょう。

「春秋に富む」とは

 

まずは「春秋に富む」という表現について見ていきましょう。

「春秋に富む」の意味

「春秋に富む」とは、年齢が若くて将来が長いことを例えた言葉です。
年齢を重ねており実績や経験が豊富という意味ではなく、将来に希望に満ちていることをあらわしています。

その意味合いから、若者を形容する表現としてに使用されます。
その一方で、まだ幼いということをあらわす際にも用いられることがあります。

「春秋」とは時間や年齢の事

「春秋」は、春や秋といった季節ではなく、「一年」をあらわしています。
その意味が転じて、「年月」や「歳月」といった表現で使用させることがあります。

年月がたくさんあるという意味合いで「春秋に富む」は若者をあらわしているということになります。

「春秋に富む」は中国で古くから用いられてきた表現

 

「春秋に富む」は、中国で古くから使用されてきた表現です。
ここからは、歴史書などにある「春秋に富む」という表現について見ていきましょう。

歴史書『史記』でも用いられる古い表現

「春秋に富む」は、中国で古くから伝わる表現のひとつです。
中国最初の通史といわれる「史記」の秦始皇本紀でも用いられています。

紀元前三世紀の終わり、中華統一を果たした秦国の始皇帝が亡くなった後のことです。
新たに即位した二世皇帝・胡亥に対して趙高という配下が「陛下は春秋に富むため、政治で失敗して権威に傷をつけるのは良くない」と提言したことで、若い胡亥は政治から引き離されました。
これが、趙高の専横を呼び、秦の滅亡につながるのですが・・・、それはまた別のお話。

ここでは、古代中国ですでに「春秋に富む」という表現が使用されていたことが分かります、ということが主眼になります。

「春秋に富む」の対義語

 

ここからは、「春秋に富む」の対義語について見ていきましょう。

対義語は「春秋高し」

「春秋に富む」の対義語は、「春秋高し」となります。
これは年齢を重ねてきたことを「高し」と表現しています。

つまり、高齢者のことを指す言葉ということになります。

「春秋高し」の注意点

「春秋高し」もまた、中国で古くから使用されてきた表現となります。
例えば「韓詩外伝」という前漢の時代にまとめられた書物でも使用されています。

そこでは、「春秋高し」の注意点となる使用例が載っています。

時は中国戦国春秋時代。
斉国の政治家「孟嘗君」が楚丘という人物に面会を求められました。

その際、孟嘗君は「あなたは春秋高く、物忘れも激しいのに何を教えてくださろうというのですか」と口を滑らせてしまいました。
これを聞いた楚丘は「私は肉体的には衰えていても精神的にはまだ壮年だ」と怒りを爆発されたため、戦国四君と称された大人物のはずの孟嘗君は平謝りする羽目になりました。

この逸話からも分かるように、「春秋高し」は高齢であるということをストレートに表現しているため、相手の衰えを指摘するような言い回しの中で用いるのにふさわしくない表現となります。

まとめ

「春秋に富む」は、年齢が若くが将来有望であることをあらわしています。
前向きなニュアンスで使用される言葉です。
この「春秋」とは、単純に季節のことあらわしているのではなく、一年という年月をあらわしています。

そして、対義語も「春秋」を含む「春秋高し」となります。
こちらは年月を重ねてきたことを「高し」と表現することで高齢者を意味する語句となっています。

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