
幼い頃の性格は年齢を重ねたところで変わるものではないことを言ったのが「三つ子の魂百まで」ということわざです。
しかしこの言葉、「三つ子」とはいっても双子・三つ子と同時に生まれた赤ちゃんのこととは関係のない言葉となっています。
そこでここでは、この「三つ子の魂百まで」という言葉について、その意味や用い方の注意点、そして類義語について見ていきましょう。
目次
「三つ子の魂百まで」とは

まずは「三つ子の魂百まで」という言葉の意味や用い方について見ていきましょう。
「三つ子の魂百まで」の意味
「三つ子の魂百まで」は、幼い頃の性格や性分は年齢を重ねても変わらないことを例えた言葉です。
幼子の特性が大人になっても出ることを言います。
「三つ子の魂百まで」の用い方・例文
「三つ子の魂百まで」は、人の性質が成長しても変わらないことを言う際に使用します。
例えば「三つ子の魂百までとはいうが、彼のイタズラ癖は変わらないな」というと、彼といわれた人物は幼い頃からイタズラを重ね周囲の人を驚かせていたが、大人になっても周囲を驚かすような言動を重ねているという事になります。
「三つ子の魂百まで」の勘違いされやすいこと

「三つ子の魂百まで」は、表現や用い方に勘違いされることがあるため、注意をしておく必要がある点が2つあります。
ここからは、その2点について見ていきましょう。
三兄弟のことではない
「三つ子」と聞けば、双子より1人多い3人兄弟のことのように思えます。
しかし、「三つ子の魂百まで」の「三つ子」は3人兄弟のことではありません。
3歳の子が転じて、1〜2歳といった子も含めた幼い子供のことを指しています。
習い事については指しあらわさない
「三つ子の魂百まで」の対象となる言葉は、性格や性分、そして習性です。
そのため、幼い頃から英語を勉強させて身につけていることのように、習い事にいかせて学んだことに対しては「三つ子の魂百まで」を用いることはありません。
ですから、小さいうちに学習したことは大人になっても役立つといった用い方をするのは間違いということになります。
「三つ子の魂百まで」の類義語

最後に「三つ子の魂百まで」の類義語を見てみましょう。
類義語といては、「噛む馬は終いまで噛む」「雀百まで踊り忘れず」などがあげられます。
噛む馬は終いまで噛む
「嚙む馬は終いまで噛む」とは、悪い癖がなかなか治らないことの例えです。
生まれつき不良なものは一生不良として終わることを指す表現となります。
人を噛む癖がある馬が、噛み癖が直ることなく死んでしまったという様子から生まれた言葉となっていまうs。
雀百まで踊り忘れず
「雀百まで踊り忘れず」とは、若い頃に身についた習性は年をとっても変わらないことの例えです。
雀は、地面を移動する時にピョンピョンと跳ねるように移動します。
これはヒナのときから成鳥になっても変わりません。
この雀の特徴的な移動する姿を踊りと例えた言葉が「雀百まで踊り忘れず」です。
まとめ
「三つ子の魂百まで」はその人の性格や習性などが年齢を重ねても変わらないことをあらわす言葉となっています。
ここでいう三つ子は、同時に生まれた三人兄弟のことではなく、3歳の子供から派生した幼子という意味です。
また、幼い頃に学習したことは大人になっても役立つという意味で使用するは間違った用い方となります。