「多々益々弁ず」とはどんな意味の言葉?その由来は?

優れた能力や実力もあって、仕事が多ければ多いほどうまく立ち回る様子をあらわす「多々益々弁ず」。
ここでは、与えられる役割が多ければ巧みに対応できるという様子を指す「多々益々弁ず」の意味や成り立ちについて見ていきましょう。

「多々益々弁ず」とは

まずは「多々益々弁ず」がどのような言葉なのかを見ていきましょう。

「多々益々弁ず」の意味

「多々益々弁ず」とは、優れた能力や実力で仕事が多ければ多いほど巧みにやってのけることを意味する語句です。
これは与えられる役割が多ければ多いほど見事にこなしてみせることの例えとなります。

秀でた手腕や恵まれた才能を持つ人物という意味で用いられることもあります。

数量が多ければ多いほど都合がいい、という様子を指すこともあります。

多弁をあらわす言葉ではないので注意!

「多々益々弁ず」は、優れた才能から物事を処理したり捌く様子を意味します。
「多」と「弁」という漢字が含まれていますが、口数が多いことを指す「多弁」に通じる意味は一切ありません。

その字面から「多弁」に通じるものがあるようにも見えますが、関連性は微塵もありません。

「多々益々弁ず」の由来

 

では「多々益々弁ず」はどのようにして生まれた言葉なのかを見ていきましょう。

漢の高祖・劉邦と家臣のやりとりから生まれた

「多々益々弁ず」は古代中国・前漢の歴史書である「漢書」-韓信伝にある故事から来ています。

前漢の高祖・劉邦が、重臣である韓信と将軍たちの統率できる兵力について話し合っていた時のことです。
劉邦は韓信に「私は、将としてならどれくらいの兵を率いることができる器があるのだろうか」と尋ねました。
それに対して韓信は「いいところ10万の兵を率いられるくらいでしょうか」と返答しました。

その答えを聞いた劉邦は、「では君はどうなのだ」と尋ねました。
すると韓信は「多々益々弁ず」と答えました。

韓信のこの言葉には、「兵の数は、多ければ多いほどうまく率いることができます」という満ち溢れた自信が込められていました。

前漢の高祖・劉邦と韓信のこのやり取りから、仕事が多いほど巧みにこなすという意味の「多々益々弁ず」という言葉が生まれました。

国士無双と称された韓信だからこその逸話

「多々益々弁ず」という言葉は、韓信だからこその逸話と言えます。

秦の末期から前漢初期の時代に活躍した韓信は、「国士無双」と謡われるほどの人物でした。
彼は数々の戦いに勝利し、前漢の高祖となる劉邦の覇権を決定付けた人物としても知られています。
張良や蕭何とともに「漢の三傑」の1人に数えられるほどの活躍をした他、決して早い参入とは言えなかったのですが項羽討滅の策をいくつも立てたことから「この男をもっと早く幕下に入れたかった」と劉邦に言わせたと伝わるほどの人物です。

「多々益々弁ず」は、長い歴史のある中国においても屈指の将軍である韓信だからこその逸話から生まれたのです。

韓信に由来する「韓信の股くぐり」とは

 

前漢の高祖・劉邦の天下統一を大いに助けた「韓信」には、若い自分に野望を持っていたからこそ屈辱に耐えたという逸話、そしてそこから生まれた成句があります。
それが「韓信の股くぐり」です

「韓信の股くぐり」の意味

「韓信の股くぐり」は、大きな目的を実現するためならば恥辱を受けても我慢し、争わずに受け流すことの例えとなります。
無駄な争いを避ける、という意味で用いられることもあります。

その場で屈辱を受けても相手にせず、うまく切り返すといった場面で使用されます。

「韓信の股くぐり」の由来

「史記」-淮陰侯伝によると、若い頃の韓信は、大きな野望こそ持っていましたが特に働きもせず、他人から施しを受けて暮らしていました。
そのため、周囲の人から軽蔑されるようなこともあったといいます。

そんなある日、韓信が剣を持っているの見た無頼の人物が「死ぬのが怖くないならその剣で俺を刺してみろ」「できないんだったら俺の股をくぐれ」と喧嘩を吹っ掛けたました。

すると、韓信はじっと相手を見つめた後、何も言わずに股をくぐってみせました。
その結果、情けない姿を見せたということで韓信は町中の人に臆病者だと笑われてしまう結果となりました。

しかし、その後の韓信は前述のとおり立身出世を果たして将軍として大成功を収めます。
するとある時、かつて自分を馬鹿にした無頼の人物を呼び寄せて取り立てて見せました。

その際に「あの時に殺しても何の得にもならなかったから我慢した」「その結果で現在の私があるのだ」と語りきかせたのです。
もしかしたら、この時すでに天下一の大将軍になるという野望を抱いていたのでこんなつまらないところで死ぬわけにはいかないと考えていたのかもしれませんね。

一時の恥辱を甘んじて受け入れた韓信のこの逸話から、「韓信の股くぐり」ということわざが生まれたのです。

まとめ

「多々益々弁ず」は、仕事が多ければ多いほど、より高い能力や実力を発揮することを意味します。
優れた能力や才能を持つ人が結果を残すことを指して用いられます。

この言葉は、「天下無双」と謳われた前漢の将軍・韓信と高祖・劉邦の会話から生まれたとされています。

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