伊達政宗の像は仙台城址だけじゃない!宮城県にある伊達政宗像を紹介!!

2019.9.10


東北最大の都市、宮城県仙台市。この仙台で観光地として有名な仙台城址。この仙台城址でもっとも見どころがあるのが、仙台市街を見守っているように立っている伊達政宗騎馬像です!ただ、この伊達政宗騎馬像。実は二代目だったり、宮城県には他にも伊達政宗騎馬像があったりと面白い一面があります。

現在の仙台を開いた戦国時代の英雄、伊達政宗。それをかたどった伊達政宗騎馬像に関してご紹介します!!



仙台市街を見守る「伊達政宗騎馬像」


由来


伊達政宗騎馬像が建立したのは意外と古く、戦前になります。1933年11月、結成された「伊達政宗公三百年祭協賛会」。この協会が伊達政宗が仙台城に入城する姿を写して像にし、製作する計画を立ち上げました。

その像の製作者として白羽の矢が立ったのは宮城県柴田郡出身で東京美術大学(現・東京藝術大学)を主席で卒業した「小室達(こむろとおる)」氏でした。そして小室氏が製作をし、1935年5月に建立されたのが「伊達政宗騎馬像」です。

ライトアップされた姿も荘厳な伊達政宗像


毎晩日没後から23時まで催されている伊達政宗騎馬像のライトアップもまた格別です。像は高い位置にあり日中は逆光であまり見えない顔や、躍動感ある馬の姿を下からのライトによって鮮明に見ることができます。

実は二代目「仙台城址、伊達政宗騎馬像」!!なんと初代の姿をまだ見れる!!


観光地としても人気で日中はいつも観光客に囲まれている伊達政宗騎馬像。実は二代目だということはご存じでしょうか?1935年に完成した伊達政宗騎馬像ですが、太平洋戦争時に日本が物資不足に陥った際、「国家総動員法」の下、1944年に「金属類回収令」により供出されその姿を消してしまいました。

ですが市民に親しまれていた伊達政宗騎馬像は戦後に再建の声が市民から上がりました。柴田町で分散保存されていた石膏の原型が仙台市に渡され、小室氏が造った伊達政宗騎馬像は再び1964年10月9日にその姿を仙台城址にあらわし、現在もその姿を私たちに見せてくれています。

初代伊達政宗騎馬像は「仙台市博物館の庭」にある


金属類回収令によってその姿を消した初代伊達政宗騎馬像ですが、なんと戦後に塩釜で胸像となって見つかりました!!馬や手足等は金属に姿を変えられてしまったようですが、その胸部からは上は姿を残していたのです!!

この胸像となってしまった初代伊達政宗騎馬像は、一度仙台市内にある「青葉神社」に奉納された後、仙台城址から10分ほど下ったところにある仙台市博物館の庭に設置されました。この胸像は低い位置にありますので、通常じっくり見ることのできない伊達政宗騎馬像の顔を自分の目線の高さと合わせて見ることができます!




宮城県にある伊達政宗像

竹駒神社に奉納された「伊達政宗騎馬像(原型試作像)」

出典:wikipedia.org

宮城県岩沼市、「竹駒神社」内の「馬事博物館」、ここには仙台城址にあった初代「伊達政宗騎馬像」の試作像が奉納されています。馬事博物館は正月と初午大祭中の土曜日と日曜日のみ開館なので、他の像とは違い、年中見に行けるわけでは無いのでご注意ください。こちらの試作像は仙台城址のものと違い、渋い黄金色をしていますので、また違う感覚で楽しむことができるのではないでしょうか!

岩出山城跡の「伊達政宗平和像」

出典:wikipedia.org

1953年、彫刻家の「柳原義達(やなぎはらよしたつ)」氏によって造られた伊達政宗の平服姿の像は、仙台の青葉城趾に以前あった初代伊達政宗騎馬像の台座の上に立てられました。

その後、現在まで残る騎馬像が復元されたため、1964年にこの伊達政宗平和像は1591年からの12年間を伊達政宗が本拠地としていた岩出山町に贈られました。なので真の2代目伊達政宗像はこの伊達政宗平和像といったほうが正しいのかもしれませんね!

仙台駅から引っ越しした有備館駅の「伊達政宗公騎馬像」


かつて仙台駅構内にあり、仙台のハチ公前ともいうべき待ち合わせスポットとして親しまれていた「伊達政宗公騎馬像」。2008年にJR東日本仙台支社から寄贈され、現在は大崎市にある陸羽東線「有備館駅(ゆうびかんえき)」構内「ユービック」にあります。

奥州筆頭・伊達政宗とは?白石市の「伊達政宗騎馬像」


2015年10月、ゲーム制作会社「株式会社カプコン」とアニメーション作成会社「株式会社プロダクション・アイジー」から宮城県白石市にある「白石市文化体育活動センター・ホワイトキューブ」に伊達政宗騎馬像が寄贈されました。この像は他の像とは違い、カプコンから発売された人気アクションゲーム「戦国BASARA」の主人公・伊達政宗の像であり、歴史上の伊達政宗の像ではありません。

この像は東京ゲームショウ2013で初お披露目された後、全国のイベントにも展示された後、白石市に寄贈されました。ゲームのキャラクターなので他の写実的な像とは違い、スタイリッシュなデザインをされています!

仙台(宮城県)を開府した伊達政宗


仙台を開府するまでの伊達政宗


伊達政宗が仙台を開府し、仙台藩初代藩主となったのは34歳の時、1601年のことでした。そこまでの伊達政宗の人生は波乱万丈の人生でした。伊達政宗は幼少期に疱瘡(ほうそう)にかかり、その際に右目を失明。17歳の時に父から家督を継ぎ、当時の領地米沢を治める始めるも父親が死亡。その後に敵討ちともいうべき合戦をしますが、重臣を無くす激しい合戦になりました。

父の仇だった二本松の畠山氏を滅ぼしたのちは、南奥州を制覇するための合戦を始めます。しかし1589年、22歳の時に南奥州を統一しましたが、翌年に「豊臣秀吉(とよとみひでよし)」による小田原攻めが始まりました。この大勢力の前に屈した伊達政宗は豊臣秀吉に臣従し、その後は本拠地を米沢から岩出山に変更することになりました。

その後は「文禄の役」と呼ばれる朝鮮出兵にも参加しますが、豊臣秀吉が亡くなると徳川家康の勢力に力を貸します。1600年の関ヶ原の戦いでも実際徳川家康に力を貸した伊達政宗は、翌年に岩出山からの拠点の変更、仙台城の築城と仙台開府を始め仙台藩初代藩主となりました。

伊達政宗による「杜の都」仙台開府


伊達政宗は古くから「千代」と呼ばれていた仙台を漢字を変えて、「仙臺」に変更しました(「臺」は「台」の旧字体です)。この仙台というのは中国の漢詩から取られ、仙人の住む素晴らしい場所をあらわしているそうです。伊達政宗の仙台の開発への意気込みがよく伝わってくる命名ですね!

そして仙台には青葉山に山城として「仙台城」が、城下に流れる広瀬川の向こうには城下町が開かれました。この仙台城、当時としては珍しく山城で、天守閣を備えていませんでした。山城なのは当時が関ヶ原の戦いの直後なので上杉との戦いに備え堅牢な山城にした、天守閣が無いのは徳川家康への配慮した結果ともいわれています。

城下町に広がる武家屋敷では飢饉に備えて栗や梅、柿といった実のなる木や竹を植え、隣との境には杉が植えられることが推奨されました。これが「杜の都(もりのみやこ)」ともいわれる仙台の始まりだそうです。

まとめ


人気の観光スポット仙台の伊達政宗騎馬像ですが、伊達政宗当人同様数奇な運命を辿ってきたようです。太平洋戦争のあおりを受け姿を消し、市民からの再建の声の要望が大きかったので復活したというのはドラマチックですね!現在ある伊達政宗騎馬像の間に平和像が代繋ぎのような役割で立っていたというのも驚きでした!

ゲームのキャラクターとしての伊達政宗が像なっているというのが昔はもちろん今でも伊達政宗が広く愛されているという証なのではないでしょうか。

他にも伊達政宗に関して紹介した記事がありますので、併せてご覧ください。

伊達政宗は気遣いの人?名言から見る伊達政宗の意外な一面

伊達政宗の兜がカッコいい!!あの三日月にはどんな意味が込められているの?本物はどこかで見られないの?

伊達政宗の子孫って今何をしているの?現在活躍している伊達政宗の子孫を紹介!

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出典:wikipedia.org(竹駒神社) / wikipedia.org(岩出山城)

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