クッキーの一種「ロシアケーキ」は、ロシアから伝わり日本で命名されたお菓子

クッキーの一種ロシアケーキは、ロシアの製菓技師によって伝授されました。
この製菓技師にあやかって日本で命名されたので、現地でロシアケーキと言っても通じないそうです。

ここでは、ロシアケーキがどんなお菓子なのか解説します。
どのようなクッキーであるか、定義は定められているようですよ。

ロシアケーキと呼ばれるお菓子

 

まずはロシアケーキと呼ばれるお菓子がどういうものなのか見ていきましょう。

定義は二度焼き

ロシアケーキと呼ばれるクッキーは総じて生地を2度焼きされています。
つまり、ロシアケーキの定義であるという事ですね。

一枚焼いたクッキー生地の上に、メレンゲやマカロンやクッキーなどで作ったデコレーション生地を絞り出します。
これを再び焼き上げたものをロシアケーキと呼べます。

ちなみにケーキと冠していますが、あくまでもクッキーの一種です。
そのため、ロシアンクッキーとも呼ばれることもあります。

デザインや味付けは様々

このロシアケーキ、定義は生地を二度焼きする、しかありません。
そのため、デコレーション生地にジャムを塗ったものやチョコレートを絞ったもの、ナッツをかけたものなどデザインや味付けについてはバリエーション豊富です。

まさに十人十色となるのがロシアケーキです。
店によって職人による手作りの良さが詰め込まれており、オリジナリティ溢れるロシアケーキが提供されています。
言ってしまえばSNS映えするような手の込んだかわいいものも多くあります。

ロシアケーキの歴史

 

ロシアケーキの日本でのはじまりの歴史に関しては、明確にわかっています。
そこでここでは、どのようにして日本に伝わってきたのか、その背景をご紹介します。

ロシアの製菓技師によって伝わったロシアケーキ

ロシアケーキの原形となったお菓子が日本に伝わってきたのは、1931年のこととされます。
ロシア皇帝お抱えだった製菓技師のスタンレー・オホッキーが、新宿中村屋の創業者に招かれたのがきっかけです。

来日したスタンレー・オホッキーが新宿中村屋で働くことになった際、お菓子の製法を惜しげもなく日本人に伝授したそうです。
これが日本におけるロシアケーキの始まりとされています。
そこから関東を中心にして、ロシアケーキが広まったと考えられています。

ロシアケーキはロシア人には伝わらない

1つ注意しておきたいのが、ロシアケーキという言葉自体はロシア人には伝わらないということです。

ロシアケーキはロシア人の製菓技師に教えてもらったことから命名されました。
そのため日本独自の名前となっています。
現地で本場のロシアケーキが食べたいと言っても伝わらないということになります。

中村屋発の外国の食べ物は他にも

 

ロシアケーキ発祥の地ともいえる新宿中村屋は、他にも外国の食べ物をたくさん広めた歴史があるとされています。
ここからはその歴史についても見ていきましょう!

インドカレー

日本初のインドカレーは、中村屋だとされます。
そこにはラス・ビハリ・ボースという人物が関係しています。
もともと百貨店の新宿進出に脅威を感じていた中村屋の創業者「相馬愛蔵・黒光」夫婦は、新しい戦略として喫茶店の開設を検討していました。

親交のあったボースはそれを聞き、インドの味を日本に伝えるため、純印度式のカレーを名物料理にした喫茶店を作ろうと提案しました。
そして、この提案は実現化し、「純印度式カリーライス」が1927年に発売されるようになりました。
当時の日本に広まっていたのは小麦粉を使った欧風カレーだったのですが、ボースが作ったインドカリーを改良することで、次第に人気を博していったとされています。

ちなみにこのラス・ビハリ・ボースという人物、当時は日本に亡命のためやってきていました。
なぜ亡命していたのかというと、インド独立運動の過激派メンバーだったことからイギリス植民地政府に追われていたからです。

ボルシチ

ロシア料理として知られるボルシチも、日本では中村屋が初めて販売した食べ物とされています。
ボルシチは1927年、中村屋創業当時に前述のインドカレーと一緒に発売された食べ物です。

ロシア料理のボルシチとインドカリーがなぜ一緒に販売される事になったのは、そこには詩人のワシリー・エロシェンコという人物が関係しています。

当時、中村屋に出入りしていた外国人の中にウクライナ生まれのエロシェンコがいました。
彼は盲目の優れた詩人であり、日本の盲学校で学ぶために1914年に来日しました。

来日し、按摩などの勉強をしていたエロシェンコは、ロシア語の勉強をしている人との交流の中で、中村屋創業者である相馬黒光と知り合います。
そして、この相馬黒光がエロシェンコの日本での生活の面倒を見るようになりました。
この交流の中で、エロシェンコからボルシチが伝えられたとされています。

月餅

月餅もまた、中村屋が日本で最初に商品にしたとされています。
1925年、百貨店の新宿出店で打撃を受けた相馬愛蔵は、行き詰まった状況を打破するために中国視察旅行へ出発しました。

その際、現地で日本人の僧侶と出会い「ここ中国では、8月15日の夜に月餅というお菓子を月にお供えして、親しい人たちと会話を楽しむ風習がある」という話を耳にしました。
これに何となく日本風情にも似たものを感じた相馬愛蔵は、月餅を売り出すため日本に持ち帰りました。

現地の月餅は日本人の口には合わなかったものの、中国の月餅から油っぽさを除き、口当たりを良くし、美しく仕上げることで「和菓子としての月餅」を作ったとされています。
これにより、月餅が日本でも受け入れられるようになったのだとか。

まとめ

ロシアケーキはクッキーの上にデコレーション生地を絞り出して二度焼きしたものです。
これは、ロシア皇帝の製菓技師も務めたことのある人物が、来日した際に中村屋で働き作り方を伝授して生まれたとされています。

この中村屋から日本に広まった外国の食べ物は多く、実はインドカレーやボルシチや月餅なども中村屋発とされています。

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