座右の銘にもされる「臥薪嘗胆」、それは復讐を誓った人物たちに由来する四字熟語

多くの人が座右の銘として挙げる「臥薪嘗胆」という四字熟語。
この言葉は苦労を重ねるという意味があります。

その意味は、「臥薪嘗胆」の由来にあります。
そこでここでは、「臥薪嘗胆」の意味や成り立ち、類語について解説ます。

「臥薪嘗胆」とは

まず初めに、「臥薪嘗胆」の意味について見ていきましょう。

「臥薪嘗胆」の意味

臥薪嘗胆は、将来の目標達成や成功のために長い期間にわたり苦心、苦労を重ねることを意味する四字熟語です。

「臥薪」は薪の上に寝ること、「嘗胆」は苦い胆(きも)を舐める」ことをあらわしています。
どちらも長期間にわたってやるのは確かにつらそうですね。

という語源を持ち、一生懸命我慢することを指す言葉として用いられます。

座右の銘などにされる場合の意味合い

臥薪嘗胆は座右の銘やモットーなどにされることの多いです。
このような場合は我慢強さや、苦労や苦心に耐える粘り強さ、そして苦労を重ねても達成しようとする必死さといった意味合いで用いられる傾向にあります。

「臥薪嘗胆」の由来

ここからは、臥薪嘗胆の由来となった故事を見ていきましょう。
臥薪嘗胆の由来となった故事は古代中国の歴史書「史記」にあるとされます。

「臥薪」にまつわる逸話

中国が秦によってはじめて中華統一がされる以前、春秋戦国時代と呼ばれる時代にあった「呉」という国でのことです。
王「闔閭(こうりょ)」とその息子「夫差(ふさ)」という人物がいました。

ある時、闔閭は南の隣国「越」との戦いに敗れてしまいます。
その際、ケガを負い余命いくばくもなくなった闔閭は"越が自分の仇なのだ"という事を夫差に残しました。
そう、復習を願ったのです。

この言葉を聞いたに夫差は、父の最期の願いをかなえるために越国に戦いを挑むことを誓います。
そして、敵を討つという強い気持ちを忘れないように、部下には毎日父の最期の言葉を復唱させ、自分は毎日硬い薪に寝ることにしたのです。

その後の夫差は、重臣「伍子胥(ごししょ)」という人物の助けもあり、見事に越王「勾践(こうせん)」を戦で破り、拿捕することに成功します。

夫差が復讐心を燃やすために行った「薪の上に臥す」行為が、「臥薪」の由来になったというわけですね。

「嘗胆」にまつわる逸話

見事に父の仇を捕らえた夫差ですが、ここでなぜか復讐を果たさず、勾践が臣従を誓ったので命を取らずに終わらせます。
そして、勾践は、夫差に倒された後は夫差の召使にするに留めるのです。

実は勾践、負けてもただでは転ばず、夫差の配下で呉の宰相にあたる人物を買収済みで、自分の命を救うように手を打っていたのでした。
さらに、一時は馬を見る番人という役を与えられますが、国に戻ることにも成功しています。

しかし、勾践は戦での敗退や夫差からの仕打ちを忘れることはありませんでした。
苦い肝を嘗めて夫差への復讐心を忘れないようにし、表向きは呉に従っているような素振りを見せ続けました。

勾践に転機が来るのはそれから10年ほど経ってからです。
夫差は、越を一度下してからは北へと勢力を伸ばしていたのですが、ある時から一気に形勢が傾き、周辺国から攻められる立場に転落してしまいました。

この機会を勾践は見逃しませんでした。
そこから10年にもわたり、時に戦をしたり和睦をして過ごすのですが、ついに勾践が呉を下します。

この時、夫差から命乞いがあったので一度は命は助けられた身と思い助けようともします。
しかし、配下から「呉は一度あった機会を逃し、(勾践の命を取らなかったことで)今のような窮地に陥っているのです。あの時の憎しみをお忘れですか」という言葉を受け、夫差が王として戻ることは許しませんでした。

それでも勾践のことを哀れに思ったのか、せめて遠方への流罪だけで命は取らないでおこうとしたのですが、夫差側がそれを拒否。
夫差は自害をし、呉は滅亡したのです。

こうして見事に復讐を果たした勾践の「苦い肝を嘗める」行為が、臥薪嘗胆の「嘗胆」の由来となったわけです。

「臥薪嘗胆」の類義語

苦しく耐える様を言い表す臥薪嘗胆にはいくつか類義語があります。
併せて見ていきましょう。

捲土重来

捲土重来(けんどちょうらい)は、「捲土重来を期す(けんどちょうらいをきす)」という言い回しからきた四字熟語です。

この言葉は、土埃が舞い上がり、収まってもまた再び土埃が舞う様子をあらわした言葉です。
上手くいかなかったことが勢い良く再び盛り返すことから、一度は失敗したり負けたものが巻き返すこと・巻き返しを決意することの例えとして用いられます。

辛酸をなめる

「辛酸をなめるは、苦労をするといった意味があります。
苦労や災難を口にするのが大変な辛いものや酸っぱいものに例えています。

流行語になってしまった「臥薪嘗胆」

辛く苦しい臥薪嘗胆という言葉が座右の銘として使われるようになった理由のひとつに、昔あまりよくない意味での流行語になってしまったことが挙げられます。

日清戦争後に国内で流行ってしまった

日清戦争の際、清国(今の中国)に勝利した日本は遼東半島を割譲を受けることが決まっていました。
しかし、その6日後にロシア・ドイツ・フランスの三国から清に遼東半島を返還するようにと要求しました。
当時の日本には、この列強三国に対して対立するだけの力はありませんでした。
そのため、戦争をしてまで手に入れた遼東半島の返還に応じないといけなくなりました。

この時、多くの日本国民が三国干渉に反発し、「臥薪嘗胆」をスローガンにロシアへの反発心を強めたのでした。
この反発心が、3万人以上の戦死者を出すことになった旅順攻囲戦をはじめとする「ロシア戦争」への引き金のひとつと考えると悲しい憎しみの原動力になった流行語と言えなくもないのは無いでしょうか

まとめ

臥薪嘗胆は、「将来の目的や成功のために長い間苦心、苦労を重ねること」を意味する言葉です。
古代中国の故事で復讐を誓った人々の逸話により生まれた言葉です。

座右の銘としては素敵ですが、その由来にはとても苦しい歴史があったようですね。
それに、あまり我慢強すぎるのも、ストレスに繋がってしまいそうですので、臥薪嘗胆もほどほどにしたいものです。

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