
苦渋の決断をすることを「背に腹はかえられない」と表現することがあります。
これは、やむを得ない状況で使用される表現のひとつです。
ここでは、この「背に腹はかえられない」という言葉の意味や由来、そしてその対義語について見ていきましょう。
目次
「背に腹はかえられない」とは

まずは「背に腹はかえられない」という言葉について、その意味や別表現について見ていきましょう。
「背に腹はかえられない」の意味
「背に腹はかえられない」とは、大事なことのためには他のことを犠牲にすることもやむを得ないという意味です。
不本意でも、他に選択肢がないことを強く示唆する表現となります。
大きな苦痛を避けるためには小さな苦痛がある事自体はやむを得ないということをあらわし、苦渋の決断を下す際などに用いられます。
「背に腹はかえられぬ」など別表現もある
「背に腹はかえられない」は、「背に腹はかえられぬ」とも表現されることもあります。
否定形の形式が異なるだけで、その意味は全く変わりません。
その一方で「背を腹にかえられぬ」のような助詞を変える表現は存在しません。
「背に腹はかえられない」の由来

ここからは「背に腹はかえられない」という言葉がどのようにして成立したのか、その由来について見ていきましょう。
どうしてもお腹は守りたい様子から生まれたことわざ
「背に腹はかえられない」という言葉は、戦いの描写から来た言葉とされます。
背中を攻撃されて痛いからと、代わりに正面から攻撃を受けるのは非常に危険です。
なぜなら腹部には五臓六腑と呼ばれる大事な内臓があるからです。
胸部や背中は骨で守られていますが、腹部は骨もなく、胸部以上に内蔵が詰まっているので攻撃を与えられると非常に危険で、死に至ることも十分ありえます。
そのため、腹部はなんとしても守りたい、そのためには背面に傷を負うのもやむを得ないという意味合いから「背に腹はかえられない」ということわざが生まれたとされています。
「背」を他者に「腹」を自分に見立てた表現として使用されることもしばしばあります。
その場合、切羽詰った状況では他を省みる暇などないというニュアンスとなります。
「江戸いろはかるた」のひとつ
「背に腹はかえられない」は、江戸いろはかるたの1つでもあります。
江戸いろはかるたは、江戸で誕生した遊戯の1つです。
これらは「いろは」の47文字と「京」の1文字の合計48文字から始まることわざを読み上げ、相当する絵札を取り合うという競技性のある遊技です。
その読み札の1つが「背に腹はかえられぬ」です。
このいろはかるたは、江戸いろはかるただけではなく、京都大阪を中心にした上方いろはかるた、現在の愛知県西部に当たる尾張国で普及した尾張いろはかるた、他にも各地域に郷土かるたが存在します。
「背に腹はかえられない」の対義語

最後に「背に腹はかえられない」の対義語を見てみましょう。
渇しても盗泉の水を飲まず
「渇しても盗泉の水を飲まず」とは、どんなに困難でも不正には手を出さないことを意味します。
これは、中国の「陸機-猛虎行」にある故事から来た言葉です。
その故事によると、孔子は喉が渇いている時に「盗泉」と呼ばれる湧き水を見つけました。
しかし、その名前を嫌い、水を飲むことなく我慢して過ごしたといいます。
この孔子の行動から「渇しても盗泉の水を飲まず」という言葉は生まれたとされています。
鷹は飢えても穂を摘まず
「鷹は飢えても穂を摘まず」とは、高潔な人はどんなに困窮しても不正をして生き延びようとはしないという意味です。
猛禽類の鷹は肉食性なので、まず穀物を食べることはありません。
そのため、空腹だからと麦や米の穂を摘むことがない鷹の姿を高潔な人物に例えたのが、「鷹は飢えても穂を摘まず」となります。
武士は食わねど高楊枝
「武士は食わねど高楊枝」とは、武士は生活に窮しても気位を高く持ち、恥ずべきことをしてはならないという戒めとして用いられた言葉です。
かつて武士は貧しくて食べるものに事欠いても、十分食べたふりとして楊枝をくわえていたとされています。
武士が誇り高いことの例えとしても使用されることもありました。
その一方で、十分に食事を摂ることもできない下級武士などに対する皮肉としても用いられました。
まとめ
「背に腹はかえられない」は、何かを成し遂げるには、多少の犠牲を払うこともやむを得ないというニュアンスの言葉です。
お腹の内臓を守るためなら背中が痛めつけられるのも仕方がない、という様子から来た言葉とされています。