座右の銘にもされる「雨垂れ石を穿つ」とはどんな意味?その由来や類義語は?

「雨垂れ石を穿つ」という言葉は、小さなことであっても続けることで大きなことを成し遂げられる、という意味があります。
この言葉は、人生の教訓や座右の銘としてあげられることもあります。

そこでここでは、「雨垂れ石を穿つ」という言葉について、その意味や用い方、その由来や類義語について見ていきましょう。

「雨垂れ石を穿つ」とは

 

まずは「雨垂れ石を穿つ」がどのような言葉なのかを見ていきましょう。

「雨垂れ石を穿つ」の意味

「雨垂れ石を穿つ」とは、どれだけ小さなことであっても根気よく続ければ、やがてその努力は実を結ぶということを例えた言葉です。
小さなことも積み重ねることで、最終的には成果を得ることができるという意味合いで用いられます。

そのため、人生訓としてのニュアンスが強い言葉となっていることから、座右の銘として心に留めている方も少なくありません。

座右の銘として使われる際の意味合い

座右の銘としての「雨垂れ石を穿つ」は、何事も粘り強く辛抱することが実を結ぶという意味合いなどで用いられます。
日々コツコツと努力を重ねたり、小さくても信用を日々得ていくことで、いつの日か日の目を見るというニュアンスがあります。

この言葉は、即効性を求めた言葉ではありません。
ゆっくりでも着実に前に進んでいくことをあらわしています。

そのため、楽をしたいといった意味の言葉とは対極に存在します。

元は「泰山之霤穿石」という漢書の一説から

 

「雨垂れ石を穿つ」はどのようにして生まれた言葉なのでしょうか?
その由来について見ていきましょう。

由来となった「泰山之霤穿石」とは

「雨垂れ石を穿つ」の出典は、漢書「枚乗伝」にあるとされています。
紀元前2世紀の中国、前漢王朝の時代の枚乗という人物について書かれたものです。

その一節に「泰山之霤穿石」とあります。
この文に出てくる泰山は、中国の山東省に存在する山のことです。

この泰山に降る雨が雫となり、石に落ちる。
その雫一滴ではなんの変化も生じないが、長い長い時をかけて雫が石に落ち続けることでその泰山の石を突き抜ける穴を開けた。

という描写となるわけです。
雨の雫が、積み重ねてきた実績や努力に信頼であり、石を突き抜けたことが成果や実を結んだ努力ということになります。

原典ではネガティブな意味で用いられている

「泰山之霤穿石」は、「雨垂れ石を穿つ」の意味合いからポジティブな印象と認識されていますが、原典である枚乗伝の中ではあまり良くない印象の言葉とされています。

なぜなら、「泰山之霤穿石」は「どれだけ小さな事柄だろうとも、それが積み重なるといずれは大きな災いになってしまう」ということを例えて王に対して、伝えた言葉だからです。

「雨垂れ石を穿つ」の類義語

 

最後に「雨垂れ石を穿つ」の類義語を見ていきましょう。
類義語としては「ローマは一日にして成らず」「塵も積もれば山となる」などがあげられます。

ローマは一日にして成らず

「ローマは一日にして成らず」とは、大事業は短期間には成し遂げられず、長い年月の積み重ねによって実現するという例えです。

かつて最強の国といわれたローマ帝国は、ある日ポンと成立したわけでもありませんし、突然強大な国に成長したわけでもありません。
何年何十年という長い年月によって大国になったのです。

この様に、決して短期間では出来上がることはなく、大きな事業には莫大な時間がかかるということをあら和しているのが「ローマは一日にして成らず」という言葉です。

塵も積もれば山となる

「塵も積もれば山となる」とは、塵のような微小なものでも、積み重ね積み重ねていくことによって動かしようのない大きなものとなる、ということを例えた言葉です。
小さな努力でも、たゆまず続ければいつか大きな成果が得られるという意味合いで用いられることもあります。。

まとめ

「雨垂れ石を穿つ」は小さなことでも続けていれば大きなことを成し遂げられる、という意味合いで用いられる言葉です。
日本では座右の銘とされることもあります。

ところが、出典となる中国でまとめられた漢書の中では、むしろネガティブな表現として登場します。

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