「一意専心」とはどんな意味の言葉?その由来や類義語は?

ひたすら1つのことに集中することを「一意専心(いちいせんしん)」と言います。
これらの四字熟語は何かに対してわき目もふらずに心を注ぐことを言う表現となっています。
しかし、そもそも「一意専心」とはどこから来たのでしょうか。

今回はそれら「一意専心」について解説します。
特にここでは「一意専心」の意味はもちろん、由来や語源についても説明します。

「一意専心」とは

まずは「一意専心」の意味について見ていきましょう。

「一意専心」の意味

「一意専心」とはひたすら1つのことに心を集中することです。
特にわき目もふらずに心を1つのことだけに注ぐことを意味する四字熟語となっています。

人は何かに集中すると周りが見えなくなることがあります。
それくらい気持ちを1つに向けているような様子を表す言葉、それが「一意専心」です。

「一意摶心」「専心一意」と表現することも

これら「一意専心」は「一意摶心」と表現することも可能です。

「専」は他のものを交えないことを意味します。
中でも、1つに集中することを意味する言葉です。
「摶」は散ったものを1つにまとめることを意味します。
特にこれらは集めることを意味する言葉とされます。

どちらも似たような意味なので、どちらの漢字表記でも問題ありません。

他にも「専心一意」と表現することがありますが、こちらも同じ意味となります。

「一意専心」の由来

では「一意専心」はどこから来たのでしょうか?
ここからは「一意専心」の由来や語源をまとめます。

「一意」と「専心」それぞれの意味は同じ

「一意専心」は分解しても同じ意味を持つ言葉となります。

「一意」は一途に1つのことだけに心を注ぐことを意味します。
「専心」はひたむきに1つのことに集中することを意味するのです。

これらは他のことに心を動かされないことを意味する言葉です。
つまりはどちらも同じ意味を持つ熟語だと言えるでしょう。
それらを組み合わせた四字熟語が「一意専心」となります。

古代中国の書物「管子・内業」の一節から

「一意専心」が最初に登場したのは古代中国の書物「管子・内業」とされています。

その一節に「四体既に正しく、血気既に静かにして、意を一にし心を摶らにし、耳目、淫せざれば、遠しと雖も近きが若し」とあります。

この一節には「五体が健康で血行も安静であれば五感が研ぎ澄まされるため、遠くのものでも近くに見えるものだ」というような意味があるのです。

そこから「一意専心」だけが四字熟語として広まったわけです。
なお、近年では1つのことに集中することの大切さを説く言葉としても使用されます。

「一意専心」の類義語

最後に「一意専心」の類義語についても見ておきましょう。
「一意専心」の類義語としては「一心不乱」「無我夢中」などがあります。

一心不乱

「一心不乱」とは、1つのことに心を集中して他のことに心を乱されないことの例えです。
また、ただ1つのことに心を集中して撃ち込む様子なども指します。
その他、あまりにも真剣に取り組むがゆえに周りが見えなくなることなども表します。

近年では誰が声をかけても聞いておらず、ひたすら何かに集中しているような状況の表現としても使用されることが多いです。
それら極度に集中している状態が「一意専心」と似ています。

無我夢中

「無我夢中」とは、あることに心を奪われて我を忘れてしまう様子のことです。

「無我」は自分に捕らわれる心を超越した心のことを指します。
これらはもともと仏教用語の1つで、自分を忘れる意味でも使用される言葉です。
「夢中」は物事にすっかり熱中して他のことを考えられない状態を表します。

つまりは我を忘れるほど心を奪われてしまうことを言う言葉です。
それら1つしか見えていない状態が「一意専心」と同じです。

まとめ

「一意専心」は1つのことに心を集中させることを言います。
これらは周りが見えなくなるほど集中することを言った言葉です。

日常生活ではつい心が乱れることも多いかもしれません。
そんな時には「一意専心」という言葉を思い出してみてはいかがでしょうか。

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