「曲学阿世」とはどんな意味の四字熟語?その由来は?

道理に背く学問で時勢や権力にこびへつらい、世間の人々に気に入られるよう振る舞うことを「曲学阿世(きょくがくあせい)」と言います。
これらは誤った学問でご機嫌取りをすることを言った表現です。
しかし、そもそも「曲学阿世」はどこから来た言葉なのでしょうか?

今回はそれら「曲学阿世」がどのような言葉なのか解説します。
ここではその意味はもちろん、由来や語源についても説明します。

「曲学阿世」とは

まずは「曲学阿世」の意味について見ていきましょう。

「曲学阿世」の意味

「曲学阿世」とは道理に背いた学問によって時勢・権力などにこびへつらい、世間の人々に気に入られるような言動をすることです。

「曲学」は真理を曲げた正道によらない学問を意味します。
「阿世」は世の中にこびへつらうことを意味します。
つまり、誤った学問でご機嫌取りをすることを言う言葉です。

本来、学問は物事を正しく見極めるためのものです。
しかし、忖度によって結論を変えてしまえば意味がありません。
それら気を遣うことによって世の中に迎合することを「曲学阿世」と表現するわけです。

要は強い者にこびへつらって学問すら変えてしまうようなことを表現したのが「曲学阿世」となります。

「曲学阿世」の由来

では「曲学阿世」とはどこから来た言葉なのでしょうか?
ここからは「曲学阿世」の由来や語源についてまとめます。

若い学者をたしなめるために用いられた言葉から

「曲学阿世」は漢代の歴史書「史記‐儒林伝」に使用された言葉から来ているそうです。

その昔、轅固という学者とその後輩にあたる公孫弘という人物がいました。

ある日、轅固は公孫弘を諭すよう以下の言葉を伝えました。
それが「轅固曰、公孫子務正学以言無曲学以阿世」という言葉だったとされています。

これは轅固は公孫弘に向けて「正しい学問に励み世の中に発言しなさい。学を曲げてまで世に阿るべきではない」と言った言葉だそうです。

要は「学問の目的を曲げてまで世の中に迎合するな」という戒めや教えとして伝えたわけです。
この言葉の最後の部分が「曲学阿世」として広まったと考えられています。

つまり、もともとこれらの言葉は世間の人々に気に入られるような言動をすべきではないという戒めや教えだったのです。
それが次第に時世や権力にこびへつらうことを意味するようになったとされています。

転じて、それらご機嫌取りで言動するような人物を指すようにもなったとされています。

世間におもねることを表す言葉

「曲学阿世」の他にも世間におもねることを表す言葉というのはいくつか存在します。
それが「阿諛曲従」や「ゴマすり」です。
最後にそれら「曲学阿世」の類義語を見ていきましょう。

阿諛曲従

「阿諛曲従」とは相手に気に入られようとして、相手の言うことを何でも受け入れて機嫌を取ることを言った四字熟語です。

「阿諛」は気に入られようと振る舞うことを意味します。
「曲従」は自分の意思を曲げてまでして従うことを意味します。
要は本心ではないのに自分を曲げて機嫌を取るよう振る舞うことを言う言葉なのです。

近年ではそのための言動はもちろん、その手の右往左往する人物なども表す表現とされています。
このように世間に対してこびへつらうところが「曲学阿世」と似ているのではないでしょうか。

ゴマすり

「ゴマすり」とは他人に対してこびへつらうことを言います。
気に入られようとして機嫌を取ることを言った言葉です。
それだけでなく、ゴマをすることで自分の利益を計ることなども指します。

総じて、その時々で誰にでも迎合してしまうようなことを言ってしまう人物・物事を言う言葉と言えるでしょう。
転じて、告げ口をすることなども意味することがあります。
それら誰かに気に入られようと画策するところが「曲学阿世」に通ずるのではないでしょうか。

まとめ

「曲学阿世」は学問を曲げてでも強者に迎合してしまうことを言います。
これらは忖度によって学問が変えられることを言った言葉です。

しかし、もともとはある学者が後輩に戒めや教えとして伝えた言葉から来た言葉となっています。
そのため、当初は「曲学阿世」という言葉自体が「世の中に迎合してまで学問を曲げるな」という意味があったのです。

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