身の程をわきまえずに人の真似をしてうまくいかなくなることの表現のひとつに「鵜の真似をする烏」ということばがあります。
これは、結果として惨めな失敗をしてしまうことを言ったことわざとなります。
ここでは、この「鵜の真似をする烏」ということばについて、意味や成り立ち、その類義語と対義語について見ていきましょう。
目次
「鵜の真似をする烏」とは
まずは「鵜の真似をする烏」ということばについて、その意味や成り立ちについて見ていきましょう。
「鵜の真似をする烏」の意味
「鵜の真似をする烏」とは、身の程をわきまえずに人の真似をする者の例えです。
その結果として、惨めな失敗をしてしまう者の例えとしても使用されます。
自分の腕前や技量をわきまえず、成功している人の真似だけしたところで成功することはまずありません。
「鵜の真似をする烏」には、このような人の真似をしたところでうまくいかなくて当たり前だというニュアンスが込められています。
なお、「鵜の真似する烏水に溺れる」や「鵜の真似する烏は大水を飲む」という他の言葉を補填した表現がされることもります。
また、「烏が鵜の真似」と表現されることもあります。
いずれも意味は同じで、違いは特にありません。
「鵜の真似をする烏」の成り立ち
鵜と烏は、どちらも黒い羽根を持っています。
しかし、鵜は潜水して魚を捕食できますが、烏には潜水能力は無いので真似しても魚を捕まえることはできません。
鵜と烏のこの違いから、「鵜の真似をする烏」という表現が生まれたのではないかと考えられています。
「鵜の真似をする烏」の類義語
ここからは、「鵜の真似をする烏」の類義語を見てみましょう。
「鵜の真似をする烏」の類義語には、同じく動物に例えたことわざがいくつか存在します。
鯉が躍れば泥鰌も躍る
「鯉が躍れば泥鰌も躍る」は、自らの腕前を考えずに人の真似をすることの例えです。
これは、泥鰌がいくら鯉の真似をして跳ねてみてもあまり冴えず、見向きもされないことから来ているとされています。
雁が飛べば石亀も地団駄
「雁が飛べば石亀も地団駄」とは、自身の分際を考えないで人真似することの例えです。
飛び立つ雁を見た石亀が「自分も空を自由に飛びたい」と願い、必死にもがいたところで飛べはしません。
雁と亀その生態の違いをあらわした表現とされています。
「鵜の真似をする烏」の対義語
最後に「鵜の真似をする烏」の対義語も見ておきましょう。
「鵜の真似をする烏」の対義語にも同じく動物を例えたことわざがあります。
蟹は甲羅に似せて穴を掘る
「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」は、自分の身分に相応しい言動をすることの例えです。
蟹が自分の体のサイズに合わせた巣穴を掘る様子から来たとされています。
そして、身の丈に合った望みを持つことの例えとしても使用されています。
高望みしないことをあらわすことばの一種です。
安分守己
「安分守己」とは、自分の身の丈をわきまえて生き、高望みしないことの例えです。
「安分」は、己の分に安んずること。
「守己」は、自分の身を持することを意味します。
自分をわきまえて生きると言っているわけです。
まとめ
「鵜の真似をする烏」は、自分の身の程をわきまえずに人真似をして、その結果失敗してしまうことを言ったことわざです。
惨めな失敗をしてしまう者の例えとしても用いられます。
このことばは、同じ黒い体をした鵜と烏の生態の違いから来たとされています。
鵜は潜水能力を有しているので、水中に潜り魚を捕らえることができます。
しかし、烏にはそのような能力がありませんので、魚を潜って捕まえることはできません。
この違いから、烏が鵜のマネをしても失敗しtげ痛い目を見るだろうという意味合いのことばとして成立したとされています。
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