頂点をあらわす「百尺竿頭」、その意味や由来、そして類義語は?

物事の頂点であることを「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)」と表現します。
これは到達する極限や最上の極地のことを言った四字熟語です。
しかし、それをなぜ「百尺竿頭」と表現するのでしょうか?

今回はそれら「百尺竿頭」という言葉について解説します。
特にここではその意味はもちろん成り立ちや類義語についても説明します。

「百尺竿頭」とは

まずは「百尺竿頭」がどのような言葉なのかを見てみましょう。

「百尺竿頭」の意味

「百尺竿頭」とは到達する極限や最上の極地のことです。
中でも、行き着くことのできる最も高い地点のことを言います。
近年ではさらに上や先を目指す向上心を指すこともあります。

これらは「百尺」もある「竿頭」から転じた四字熟語です。
ちなみに「百尺」とはとても長いことの例えとなります。
それらを「竿頭」に重ねた表現となっています。

なお、これらは「ひゃくしゃくかんとう」と読みますが、その一方で「ひゃくせきかんとう」と読まれることもあるようです。
そこはどちらも間違いではありません。

「百尺竿頭一歩を進める」と表現されることも

「百尺竿頭一歩を進む」と表現されることもあります。

その場合も大まかな意味は同じようなものとなります。
そのため、どちらの表現を使用しても問題ありません。

ただし、この表現だと到達した極限や最上の極地よりもさらに努力して前進することを意味する言葉となります。

そのため、もともとの形とは意味が少し変わってしまいます。
そこはさらに一歩進むという意味で使用するなら「百尺竿頭一歩を進む」と表現したいところです。

「百尺竿頭」の成り立ち

では「百尺竿頭」はどこから生まれた言葉なのでしょうか?
ここからは「百尺竿頭」の成り立ちについて見ていきましょう。

「百尺竿頭」の由来

「百尺竿頭」は仏教の世界から来た言葉とされています。
もともと「百尺竿頭」は仏教で修行を積み、努力に努力を重ねることを言った四字熟語でした。

つまり、最高の境地に達することを表現する言葉だったわけです。
そこから転じて、仏教世界だけではなく一般世界でも使用されるようになったと考えられています。

つまり、当初は仏教用語の1つだったと解釈して良い言葉です。
現代でも仏教の世界から来た言葉として使用されているので、そこは覚えておきたいところです。

百尺とはどのくらいの長さ?

ちなみに「百尺」とは約30mの長さがあります。
これは高層ビルの10階に相当する長さです。

つまりはとてつもなく長いことを表した言葉となります。
あくまでも「百尺竿頭」の「百尺」は例えであることを忘れないようにしましょう。

「百尺竿頭」の類義語

最後に「百尺竿頭」の類義語について見ていきましょう。
「百尺竿頭」の類義語には「至高無上」や「斗南一人」があります。

至高無上

「至高無上」とは限りないほどに素晴らしいことの例えです。

「至高」は素晴らしいことを意味します。
「無上」は限りないことを意味します。

要はこの上ないほどに最高であることを指す表現の1つです。
それら頂点を表すという点が「百尺竿頭」と重なるのではないでしょうか。

斗南一人

「斗南一人」とはその道の第一人者のことを言います。
この世に比べる者のない優れた者のことも指します。
なお、これらの言葉はかつて天下第一の人や 天下に並ぶ者のない人を指していました。

ちなみに「斗」は北斗七星のことです。
その「斗」が含まれる「斗南」は北斗七星以南のことを指します。
そこから転じて、天下のことを意味するようになったとされるとか。

また「一人」は第一人者などの意味で使用されています。
これらは「ひとり」ではなく「いちにん」と読みます。

要は天下に2人といない優秀な人のことを言った言葉です。
それらの点が「百尺竿頭」にも通ずるのではないでしょうか。

まとめ

「百尺竿頭」は物事の頂点であることを言った四字熟語です。
これらは人物などが到達する極限や最上の極地のことも言います。
つまりは、この上ないほど素晴らしいことを言った言葉なのです。

ちなみに、これらの言葉は仏教から来た言葉とされます。
日常生活であまり耳にすることはないものの覚えておくと何かの役に立つかもしれないので、ぜひ覚えておきましょう。

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