「一陽来復」は冬至をあらわす縁起がいい意味の言葉?一陽来復や一陽来福とかかれたお守りやお札ってなに?

「一陽来復」は、冬から春になることや冬至そのものを指す言葉です。
そのことにあやかって、運気が巡ってくることを指し縁起がいい言葉となっています。

中には「一陽来復」と書かれたお守りやお札もあります。

そこでここでは、とても縁起のいい言葉「一陽来復」の意味についてご紹介するとともに、同じ意味を持つ「一陽来福」などについても見ていきましょう。

一陽来復の意味

 

まずは「一陽来復」がどういう意味を持つのか、見ていきましょう。

冬至

「一陽来復」は冬至も意味する言葉です。
当時は、1日で日の出ている時間が一番短い日、つまり夜となる時間が一番長い日です。
逆に言えば、この日を境に日の出る時間が長くなっていき、春に向かっていくことをあらわしています。

これもあって、日本では古くから陰暦の10月に陰が極まり、11月の冬至に陽が生じるという考えをされてきました。
そのため、「一陽来復」は陰暦の11月を指すこともあります。

春(新年)がやってくること

前述の理由から、「一陽来復」は次第に春がやってくることを指す言葉でもあります。
古代中国・周の時代頃までは冬至が元日、つまり新年とされていたといいます。

このことから、「一陽来復」は新年の訪れを意味することもあります。

運気が巡ってくること

運気が巡ってくることを「一陽来復」と表現することもあります。
特に悪運が長く続いた後、幸運に向かうことを表すのです。

悪いことが続いた後に良いことが起こることを指す言葉です。
同じ意味で「苦尽甘来」や「苦尽甘楽」という言葉もあります。

一陽来復のお守り

 

「一陽来復」と書かれたお守りやお札を見たことがあるという人もいるのではないでしょうか?
「一陽来復」に関するお守りやお札はとても縁起がいいとされ、特に金運アップに良いとされています。

頒布されるのは一定の時期だけ

この「一陽来復」のお守り、通常のお守りやお札と違い、年中手に入るわけではありません。

「一陽来復」のお守りは配られる時期が決められています。
冬至から翌年の立春(節分)までと定められています。

これは1年を24等分して考える「二十四節気」の4つの季節、1年のうち8分の1の時期だけに配られる貴重なお守りとなります。

授かったお守りはどうしたらいい?

お守りを受け取ったら、冬至か大晦日、節分のいずれかの日の夜中0時(24時)、つまり日付が変わる瞬間に恵方に向けて祀るのが決まりとなっています。
この恵方は、歳徳神の所在する方向で毎年変わります。

はじまりは早稲田の穴八幡宮

この「一陽来復」のお守りの始まりは、東京都新宿区西早稲田二丁目にある穴八幡宮にあるとされています。
穴八幡宮は、古くから商売繁盛や出世、開運にご利益があるとされてきた寺社で、その歴史はとても古く11世紀の平安時代にさかのぼります。

「一陽来復」のお守りも、江戸時代中期から授与されるようになったそうです。

現在は他の寺社でも

「一陽来復」のお守りは、穴八幡宮以外の寺社でも授けられています。
例えば、築地にある波除神社、須賀の須賀神社などでも配られています。

関東だけではなく、関西でも授かることが可能です。
関西では京都の車折神社や奈良の葛城一言主神社などで授かることができますよ。

これらの寺社で授かる事のできる「一陽来復」のお守り自体には穴八幡宮とは関連性はないそうです。

一文字違い!「一陽来福」のお守り・お札も

 

一陽来復とは一文字違いで、「一陽来福」のお守りやお札というものもあります。

一陽来復のお守りのはじまりとされる穴八幡宮には、隣接して放生寺という寺院があります。
この放生寺は、穴八幡宮の前身「高田八幡」の分社として江戸時代に創建しました。

そのため穴八幡宮と放生寺には密接な関係があります。
この放生寺で授与されているのが「一陽来福」のお守りやお札です。

これはたくさんの「福が来るよう」にという意味と、本尊を拝む際に唱える観音経偈文の結び「福聚海無量」にちなんでいるそうです。

まとめ

「一陽来復」は、かつて1年の始まりとされていた冬至を意味する言葉です。
また、運気が巡ってくることをあらわすように、とても縁起のいい言葉となっています。

そこから、冬至に授与が始まる「一陽来復」のお守りやお札というものも存在しますよ!

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