思うように支配することをなぜ「牛耳る」というの?その由来は古代中国の風習にあった!!

思うように支配することを表現する言葉の「牛耳る」。
この言葉は、まとまりのあるグループを操るという状況で用いられます。

しかし、なぜ支配知ることを「牛耳る」と言うのでしょうか。
そこでここでは、「牛耳る」という言葉についてその意味や成り立ちについて見ていきましょう。

「牛耳る」とは

 

まずは「牛耳る」がどのような言葉なのか見ていきましょう。

「牛耳る」の意味

「牛耳る」とは、集団や団体、組織や党派を支配して思いのままに動かすことです。
中心人物となり、自由自在に操ることをあらわしています。
物事をまとめるだけでなく、リーダーシップをとる人物を指すこともあります。

なお、この「牛耳る」、正式には「牛耳を執る」という表現とされます。
「牛耳る」は略語ということになります。

「牛耳る」の用い方

「牛耳る」は、単独の存在ではなく集団や団体といった複数の存在によって構成されている存在を対象とします。
そのため、特定の誰かを「牛耳る」とは言いません。

AさんがBさんを支配することを「牛耳る」とはいわないわけです。
Aさんが、BさんやCさんの所属しているグループを思いのままに操ることを「牛耳る」と表現します。

「牛耳る」の由来

 

では「牛耳る」はどのようにして生まれた表現なのでしょうか。
その成り立ちについて見ていきましょう。

古代中国の牛を使った風習が由来

「牛耳る」という言葉は、古代中国での牛にまつわる風習から来ています。

春秋戦国時代、中国において諸侯が盟約を結ぶ際には生け贄の牛の耳を切りその血をすするという行為がされていました。
その際、牛の耳を切る者が盟約の長となったとされています。

この風習から「牛耳る」という言葉が生まれたとされています。

盟約の長ともなれば、その盟約を交わした者たちの行動を左右できる立場に立てます。
つまり「牛耳る」ことができるようになったというわけですね。

牛耳をとるために争いも起きている

この牛耳をどちらが取るかが原因で、国同士の争いに発展したという事例も残っています。

その例として、呉王・夫差と晋の定公の争いがあげられます。

古代中国・春秋時代末期、呉王・夫差は中原の覇者になることを夢見て、自分の存在を認めさせるべく大軍を率いて「黄池」で会合を開きました。
しかし、強国として知られていた晋王・定公との間で牛耳を切る順序を争ったとされています。

そう、呉王・夫差だけでなく晋王・定公もまた、中原の覇者を目指していたので、どちらが盟主となるか争ったのです。

ちなみにこの争い、その隙を越という国が突きて呉を攻め立て、夫差の息子である太子友を捕虜とした上で処刑してしまったことで、呉は盟主争いをしている場合では無くなってしまうという結末を迎えました。

まとめ

「牛耳る」は、思うように支配することをあらわす言葉です。
その対象となるのは単体ではなく、複数をまとめ上げる際に使用します。
自分の好きなように集団やグループをコントロールするという状況となります。

これは、古代中国で同盟の際に牛の耳を切って血をすするという儀式が行われていた際、牛の耳を切り最初に血をすすった人がその同盟の長になったという風習からきたとされています。

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