切り株を守ると表記する「守株」、これは古い習慣を守ってばかりでその時々に応じた物事の処理ができないこと指します。
なぜ切り株を守ることが旧習を続けようとする様をあらわすのか、それはこの言葉がある物語から来ている言葉だからです。
そこでここでは、「守株」という言葉についてその意味や由来について見ていきましょう。
目次
「守株」とは
まずは「守株」という言葉の意味や見ていきましょう。
「守株」の意味
「守株」とは、古い習慣を守ることにこだわるあまり、時代に応じた行動が取れていないことをあらわす言葉です。
いつまでたっても昔からのやり方を変えようとしない態度に対しても用いられます。
「守株」の読み方
守株の読み方は、「しゅしゅ」となります。
守は、「まもる」という訓読みがありますが、「専守防衛」などのように音読みで「シュ」と読む語句も多くあります。
それに対して株は、「株式会社」などで用いられる「かぶ」という読みこそ一般的ですが、音読みの「シュ」はあまり馴染みが無いためマイナーな読み方と言えるかもしれません。
つくりの「朱」は「朱色(シュいろ)」という音読みがあるので、そこから検討を付けることのできる読み方ではあります。
「守株」の由来
「守株」という言葉は、古代中国でまとめられた思想書から生まれた言葉だとされています。
「韓非子」の逸話から
古代中国、中国戦国時代にまとめられた「韓非子」の中に「守株」となったとされる物語がのっています。
宋という国に住んでいた農民は、ある日勢いよくウサギが走ってきたかと思うと、切り株に激突するのを見かけました。
勢いがよすぎたのか、そのウサギは首が折れて死んでしまっていました。
なので、その様子を見ていた農民は労せずウサギを持ち帰ることができたので、大変喜びました。
その日以来、農民は仕事をせずに日がな一日、ウサギがいつ切り株に激突してもいいように見張るようになりました。
しかし、ウサギが切り株にぶつかるだなんてことは、まずありません。
むしろ、一度あってその場に居合わせたのだって相当な確立に低さでしょう。
それでも、この農民は来る日も来る日も切り株を見るだけで、仕事は一切しなくなってしまいました。
この農民の物語から、「守株」という表現が生まれたとされています。
「株を守りて兎を待つ」と表現することも
「守株」については「株を守りて兎を待つ」と表現することもできます。
この言葉も、前述の韓非子にある物語から生まれた表現です。
どちらもまったく同じ意味の言葉となっています。
「守株」の類義語
「守株」の類義語としては、「旧套墨守」や「柳の下のどじょう」があげられます。
旧套墨守
「旧套墨守」は、昔からの古いやり方を守り続けることを意味します。
それらに囚われていて、融通が利かないという意味でも用いられます。
「旧套」が昔から受け継がれている古いやり方、「墨守」は自分の考えを固く守って譲らないことをあらわしています。
この言葉は、中国戦国時代の思想家である「墨子」が城を守り通したという故事から来ているとされます。
柳の下のどじょう
「柳の下のどじょう」とは、一度うまくいったからといって再び同じようにうまくいくとは限らないということをあらわすことわざです。
一度柳の下でどじょうを見つけたからといって、どじょうがまた柳の下で見つかるかというと、そうではありません。
むしろ、そんな幸運そうそうあるものではないです。
一度あった幸運がまた来ることを望むという姿勢から生まれたという点が「守株」と全く同じですね。
「守株」から生まれた童謡がある
「守株」の由来なった韓非子にのっている農民の物語から童謡が作られたことがあります。
北原白秋作詞「待ちぼうけ」
それが詩人や北原白秋作詞の「待ちぼうけ」という童謡です。
北原白秋といえば、母親が傘を持ってお迎えに来てくれたことを喜ぶ子供の姿を描写した童謡の「あめふり」や、札幌市時計台が歌詞で出てくることが知られる「あの道」など多くの童謡を作詞しています。
「待ちぼうけ」の中では、農民が労せずしてウサギを捕まえたことや、毎日切り株を見守ってウサギがぶつかるのを期待して待つようになった様子を見事に描写しています。
まとめ
「守株」は、古い習慣を守ってばかりで進歩がないこと、臨機応変の行動を取る頃ができない様子を指して用いる言葉です。
この言葉は、韓非子という思想書にある物語から来た言葉です。
そこには、切り株にぶつかったウサギを捕獲した農民が、あくる日から農作業をやめ切り株にウサギがぶつかるのを待つようになったという話がまとめられています。
この物語から、北原白秋は「待ちぼうけ」という童謡を作っています。