【四字熟語】「一蓮托生」とはどんな意味の四字熟語?なぜ「蓮」が入っているの?その類義語は?

最後まで運命をともにすることを「一蓮托生(いちれんたくしょう)」と言います。
これらは物事の善悪や結果の良し悪しに関係なく最後まで一緒にいることを言った言葉です。
しかし、なぜ「一蓮托生」と表現するのでしょうか?

ここではそれら「一蓮托生」について解説します。
特に「一蓮托生」の意味はもちろん、由来や語源についても説明します。

「一蓮托生」とは

まずは「一蓮托生」の意味について見てみましょう。

「一蓮托生」の意味

「一蓮托生」とは、最後まで運命をともにすることの例えです。
特にこれらは物事の善悪や結果の良し悪しに関係なく最後まで一緒にいることを言います。

「一蓮」とは1つの蓮の花を意味する言葉です。
「托生」とは他に自らの生を預けることを意味します。

つまり、2人以上の人間が最後まで運命を分かち合うことを言った言葉なのです。

覚悟を決めた際にも用いられる

「一蓮托生」は覚悟を決めた際の言葉としても使用されます。

中でも「困難を共に乗り越えよう」「悲運が待ち受けていても一緒にいよう」「痛手を共に分かち合おう」というようなニュアンスで使用されます。

現代ではそれら覚悟という意味が使用することが多いです。

「一蓮托生」の由来

では「一蓮托生」はどこから来たのでしょうか?
ここでは「一蓮托生」の由来や語源についてまとめます。

「蓮」が含まれているのは仏教用語だったから

「一蓮托生」はもともと仏教用語の1つだったとされています。
事実「一蓮托生」は仏教の死後の世界観から来ている言葉なのだとか。

それら仏教では蓮の花が非常に重要なものとされています。
そのため「一蓮托生」の他にも蓮に関連した言葉が散見されます。

「一蓮托生」のはじまりの意味

もともと「一蓮托生」は1つの蓮の花に生まれ変わり、身を寄せ合うという意味を持つ仏教の言葉でした。

それら仏教では生前に徳を積んだ者は死後に極楽浄土へ行けると信じられていたのだとか。
実際に徳を積めば積むほど、神聖な蓮の台座に座れると考えられていたそうです。

最初はそれらの仏教信仰の1つが「一蓮托生」でした。
転じて、江戸時代に入ってから文学的表現として使用されることが増えたとされています。

例えば、来世に恋の成就を願うというような表現として「一蓮托生」が使われるようになっていきました。
さらには一緒に運命を決する際の意味でも用いられることが多くなったそうです。

そこから「一蓮托生」という言葉が世間一般にも広まったとされています。

「一蓮托生」の類義語

最後に「一蓮托生」の類義語についても見ておきましょう。

一心同体

「一心同体」とは、2人以上の人間が心や体を1つにすることです。

まるで1人の人間であるかの如く強く結びつくことを言います。
これらは心も体も1つになるほどに繋がりが強いことを表した言葉です。

それらの点が「一蓮托生」と似た表現だと言えるのではないでしょうか。

死なばもろとも

「死なばもろとも」とは、仲間と一緒に死ぬことを言います。
これらは相手を道連れにするという意味でも使用されます。

ちなみに「死なば」は「死ぬ」の未然形に接続助詞「ば」が付いた形の言葉です。
これは「もし~ならば」という仮定の意味を持っています。
つまり「もし死ぬならばもろとも」とも表現できるわけです。

それら最後までともにするという点が「一蓮托生」と同じです。

比翼連理

「比翼連理」とは、男女が互いに固く契りを交わすことです。
現代では男女の愛が深く、仲睦まじいことの例えとされます。
特に相思相愛の関係にある男女の表現として使用されることが多いです。

「比翼」は目と翼が1つずつで常に一対で飛ぶ空想上の鳥のことを意味しています。
「連理」は幹や枝が途中で交わった根元が別々の2本の木のことを指すそうです。

それらどちらが欠けても成立しないような関係を言います。
その点が「一蓮托生」に通ずると言えるでしょう。

まとめ

「一蓮托生」は2つのものが1つになり、最後をともにするという意味を持つ四字熟語です。
物事の善悪や結果の良し悪しなどは関係なく、それでも一緒にいるというような意味で使用されます。

現代では恋模様を描く表現としても使用されています。
なお、これらはもともと仏教の言葉から来ているそうです。

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